映画「悪人」(邦画)
私の大好きな女優の一人、深津絵里が第34回モントリオール世界映画祭で賞をもらった作品。このことは、なんとなく借りてみて、あとから知ったのですが…。
「悪人」監督:李 相日、出演:妻夫木聡、深津絵里、樹木希林、柄本明、満島ひかり
まあ、作品名通り、一言でいえば“非常に暗~~~い、<(_ _)><(_ _)><(_ _)>
”“見終わった後に、解せない何かが心に引っかかる”作品です。
個人的には、当然、大好きな深津絵里もよかったですが、その演技力の素晴らしさに感心させられたのが、妻夫木聡でした。
地方に住み、自分の生き方をどうにかして切り拓いていきたいのだが、何かがそれを阻んでしまうことへのいら立ち…。
そうした現代社会に潜む大きな壁に自らの空間を閉ざされてしまっていることへの閉塞感をリアルに演じていました。
上記プロモを見てください。最後の柄本明さんの言葉、心の奥底に突き刺さります。
はたして「悪」とは何なのでしょう?
「悪人」とはどのような人のことをいうのでしょうか?
道徳的に、法的にその答えを出すことは、対して難しい事ではありません。
しかし、哲学的にそのことを追求していくと、何が「悪」で、「悪人」とはどのような人の事をいうのか、この作品を通してすごく考えさせられました。
基本的には、法的見ると、本作品における悪人は明らかに祐一(妻夫木)ですが、果たして彼一人なのでしょうか悪人は…?
本当の悪人は彼一人ではなく、そこらじゅうにいるのではないでしょうか?(たとえば、作品の中で、人の死を笑い話にする増尾のように…)
人は、実は身近にいる悪、自分の中に潜む悪に気づいているのに、それに気づかないふりをしているのではないでしょうか?
それは、それに光を当てると自分自身が生きづらくなってしまうから…。
歎異抄の親鸞の有名な一説「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」 で、親鸞が言わんとしていた事を、この閉塞感漂う世の中で生きる者の一人として、もう一度深く問い直してみる必要があると強く感じさせられた作品でした。
「評価 ★★★★☆ 90点」
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(あらすじ)★ネタばれ注意!
土木作業員の清水祐一(妻夫木聡)は、長崎の外れのさびれた漁村で生まれ育ち、恋人も友人もなく、祖父母の面倒をみながら暮らしていた。佐賀の紳士服量販店に勤める馬込光代(深津絵里)は、妹と二人で暮らすアパートと職場の往復だけの退屈な毎日。そんな孤独な魂を抱えた二人が偶然出会い、刹那的な愛にその身を焦がす。
だが祐一にはたったひとつ光代に話していない秘密があった。
彼は、連日ニュースを賑わせている殺人事件の犯人だったのだ……。
数日前、福岡と佐賀の県境、三瀬峠で福岡の保険会社のOL・石橋佳乃(満島ひかり)の絞殺死体が発見された。事件当日の晩に佳乃と会っていた地元の裕福な大学生・増尾圭吾(岡田将生)に容疑がかかり、警察は彼の行方を追う。
久留米で理容店を営む佳乃の父・石橋佳男(柄本明)は一人娘の死に直面し、絶望に打ちひしがれる中、佳乃が出会い系サイトに頻繁にアクセスし、複数の男相手に売春まがいの行為をしていたという事実を知らされる。そんな折、増尾が警察に拘束されるが、DNA鑑定から犯人ではないことが判明、やがて新たな容疑者として金髪の男、清水祐一が浮上する。
幼い頃母親に捨てられた祐一をわが子同然に育ててきた、祐一の祖母・房枝(樹木希林)は、彼が殺人事件の犯人だと知らされ、連日マスコミに追い立てられていた。一方、警察の追跡を逃れた祐一は光代のもとへ向かい、佳乃を殺めたことを打ち明ける。光代はその事実に衝撃を受けるが、警察に自首するという祐一を光代は引き止める。
生まれて初めて人を愛する喜びを知った光代は、祐一と共に絶望的な逃避行へと向かうのであった。やがて地の果てとも思える灯台に逃げ込んだ二人は幸福なひとときを迎えるが、その逃避行が生んだ波紋は被害者の家族、加害者の家族の人生をも飲み込んでいく……。
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