読書の記録【なぜ君は絶望と闘えたのか】
2008年12月05日
なぜ君は絶望と闘えたのか―本村洋の3300日― 門田隆将
本書を読み終えた後、私は深いため息を一つついた。
そして、座っていた椅子からしばらく立ちあがることさえできず、一人呆然とただ正面を向いて、何を見るでもなく、ぼんやりしていた。例え方はおかしいかもしれないが、名作を見て、しばらく映画館の椅子から動けなくなるようなものだった。
世の中にこんなに強い人がいるものなのか。
私にも事件当時の彼と同じように、妻と11ヶ月の小さな息子がいる。
同じような状況の中で私はどのように対応するのか?間違いなく、狼狽し、発狂し、取り乱し、誰の声も聞こえなり、腑抜けになってしまうだろう。そして、自分も死を選んでしまうのかもしれない。
しかし、彼は違った。
最愛の妻と娘を鬼畜のようなFに殺された深い哀しみの中、幾度となく旧態依然とした司法の厚い壁に跳ね返されながら、驚愕、怒り、悲しみ、現実との乖離感に苛まれながら、それに怯むことなく、折れることなく、なおも敢然と挑んでいった。
事件当時、まだ23歳だった彼がこのように苦しく厳しい状況の中、闘い続けることができたその理由…。
この事件をずっと追い続け、少年法や死刑、命の尊厳、被害者家族へのケア、について自分なりに色々とこれまで考えてきた。
そんな中、色々な記事や書籍を通して、考えていた。
なぜ、わずか23歳だった彼が、これまでがんばり続けることができたのか?
彼は、私達とは違った精神力を持つ人間なのだろう。
そう結論づけるしかなかった。
しかし、そんな私の理解がいかに浅はかであったかが、この本を読むことで理解できた。
彼と残された家族の9年の闘いは、決して孤高の闘いではなかったのである。
絶望の海を彷徨う青年の陰には、彼を励まし、支えた人たちがいた。
そうした彼を支える人達と彼との間にある深い絆。
その絆の深さと強さ。
そして、その生育過程をも考慮に入れたとしても、私にとって全くもって「鬼畜」という言葉でしか表現しえなかったあのFが「死刑判決」を受けた翌朝、筆者に伝えた意外な言葉…。
言葉だけで人の変化を判断するわけではないが、改めて、Fが語ったその言葉を通して、死刑という刑罰の存在とその意味…。
そして、その是非…
について考え悩んでいる。
色々とまだまだ個人的に考えは、まとまらず見解はだせない。
「死刑」という刑罰がなければ、この世の中はどうなってしまうのか?
是か非か?
という二者択一的な選択ではなく、こうした事例を踏まえながら、じっくりと深く考え続けていくことが、今の自分には必要だと感じる。
「裁判員制度」開始を間近に控え、我々は、本書を通して、もう一つの大きな問題について議論を深めなければならないであろう。
それは、弁護士の問題である。
最高裁からFについた弁護団の対応を通して、弁護士とはなにか、弁護という名目があれば、何でも許されるその世界、彼らのとった行動、見解に対して、非常に虚しい気持ちでいっぱいになってしまった。
Fの心情もいまだ理解不可能だが、もっと理解不可能なのが、彼らのような一部の傲慢な弁護士たちの存在である。
自らの行動、見解が被害者の尊厳を貶めようが、それにより被害者が苦しもうが、彼らにとっては、何のこともない。
彼らの行動、見解は、私にとっては、まさに社会正義に反するものであると思われるが、そんなことをしても、懲戒さえも科されることがない。
そこにも、日本の司法にとって大きな問題が残されているのではないかと思う。
そうした問題を山積みにして残しながらも、見切り発車する必要があるのか?
確実に、大きな問題がそこに起こることが誰の目にも明らかである。
最後になるが、本村さんのこれまでの9年間のがんばりに敬意を表したい。
また、彼の最愛の家族、亡くなられた弥生さん、夕夏さんのご冥福を心からお祈りしたい。
本書を読み終えた後、私は深いため息を一つついた。
そして、座っていた椅子からしばらく立ちあがることさえできず、一人呆然とただ正面を向いて、何を見るでもなく、ぼんやりしていた。例え方はおかしいかもしれないが、名作を見て、しばらく映画館の椅子から動けなくなるようなものだった。
世の中にこんなに強い人がいるものなのか。
私にも事件当時の彼と同じように、妻と11ヶ月の小さな息子がいる。
同じような状況の中で私はどのように対応するのか?間違いなく、狼狽し、発狂し、取り乱し、誰の声も聞こえなり、腑抜けになってしまうだろう。そして、自分も死を選んでしまうのかもしれない。
しかし、彼は違った。
最愛の妻と娘を鬼畜のようなFに殺された深い哀しみの中、幾度となく旧態依然とした司法の厚い壁に跳ね返されながら、驚愕、怒り、悲しみ、現実との乖離感に苛まれながら、それに怯むことなく、折れることなく、なおも敢然と挑んでいった。
事件当時、まだ23歳だった彼がこのように苦しく厳しい状況の中、闘い続けることができたその理由…。
この事件をずっと追い続け、少年法や死刑、命の尊厳、被害者家族へのケア、について自分なりに色々とこれまで考えてきた。
そんな中、色々な記事や書籍を通して、考えていた。
なぜ、わずか23歳だった彼が、これまでがんばり続けることができたのか?
彼は、私達とは違った精神力を持つ人間なのだろう。
そう結論づけるしかなかった。
しかし、そんな私の理解がいかに浅はかであったかが、この本を読むことで理解できた。
彼と残された家族の9年の闘いは、決して孤高の闘いではなかったのである。
絶望の海を彷徨う青年の陰には、彼を励まし、支えた人たちがいた。
そうした彼を支える人達と彼との間にある深い絆。
その絆の深さと強さ。
そして、その生育過程をも考慮に入れたとしても、私にとって全くもって「鬼畜」という言葉でしか表現しえなかったあのFが「死刑判決」を受けた翌朝、筆者に伝えた意外な言葉…。
言葉だけで人の変化を判断するわけではないが、改めて、Fが語ったその言葉を通して、死刑という刑罰の存在とその意味…。
そして、その是非…
について考え悩んでいる。
色々とまだまだ個人的に考えは、まとまらず見解はだせない。
「死刑」という刑罰がなければ、この世の中はどうなってしまうのか?
是か非か?
という二者択一的な選択ではなく、こうした事例を踏まえながら、じっくりと深く考え続けていくことが、今の自分には必要だと感じる。
「裁判員制度」開始を間近に控え、我々は、本書を通して、もう一つの大きな問題について議論を深めなければならないであろう。
それは、弁護士の問題である。
最高裁からFについた弁護団の対応を通して、弁護士とはなにか、弁護という名目があれば、何でも許されるその世界、彼らのとった行動、見解に対して、非常に虚しい気持ちでいっぱいになってしまった。
Fの心情もいまだ理解不可能だが、もっと理解不可能なのが、彼らのような一部の傲慢な弁護士たちの存在である。
自らの行動、見解が被害者の尊厳を貶めようが、それにより被害者が苦しもうが、彼らにとっては、何のこともない。
彼らの行動、見解は、私にとっては、まさに社会正義に反するものであると思われるが、そんなことをしても、懲戒さえも科されることがない。
そこにも、日本の司法にとって大きな問題が残されているのではないかと思う。
そうした問題を山積みにして残しながらも、見切り発車する必要があるのか?
確実に、大きな問題がそこに起こることが誰の目にも明らかである。
最後になるが、本村さんのこれまでの9年間のがんばりに敬意を表したい。
また、彼の最愛の家族、亡くなられた弥生さん、夕夏さんのご冥福を心からお祈りしたい。
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Posted by no-bu at 06:53│Comments(0)
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