悲喜交々(ひきこもごも)”バレンタインデー”
2012年02月11日
いよいよ例の日が来週やってくる。
カンの鋭くない方でも、そういわれるとピンとくるだろう。
そう、あの憎っくき“バレンタインデー”である。

見栄っ張りで世間体を気にする“私みたいな”男性にとって、この日にチョコをもらえるかどうかは、すごく大事なことだった。
“だった”というのは、若いときに気にしていたということで、今現在はチョコなんてもらえようがそうでなかろうが、全く関係ない。
小学校の頃には、家に1つもチョコを持ち帰らない情けなさを隠すために、帰り道の売店で1つチョコを買って帰るということまでした…。
何であんな事までしたのかは、いまだ理解できないが、世の中の誰もが公認する“1年に一度の女性の告白のチャンス”で周囲が盛り上がっている状況から、一人ぽつんと取り残されてしまった寂しさの埋め合わせだったのだろうか。
学校現場でも早々と1月下旬あたりから、生徒の中にバレンタインの話題が上っていた。
あるクラスでは、もらえない人をなくすために、クラスの女生徒全員から男子全員にチョコをあげようという方法にしたらしい。
なんとも慈悲深いシステムである。
私が悩んだあの時代にこんなシステムがあったらありがたかったが…。
しかし、我がクラスにもこうしたシステムを取るクラスがあることを説明し、内々で女子に“ウチのクラスでもどう?”とすすめたのだが、おおかたOKをもらいはしたが…“えっ、嫌だ”
という強い拒絶反応も一方ではあった。
そうでもない人に“手渡し”でチョコをあげるのが嫌みたいだ。
その後は、クラス内ではその話題から極力避けるようにしてきたが、来週どうなる事やら…。
世の中の男子には、この日に恨み辛みを持つ者も多く、こんな歌まである。
さて、そもそも女性から意図する男性にチョコをあげるという日にバレンタインデーが位置づけられたのは、1958年のことである。
バレンタインデーがそのように位置づけられているのは、いたって日本的な事であり、商業主義に乗せられてしまっている事は、知る人ぞ知る事である。
1958年、新宿・伊勢丹の売り場で、メリーチョコレート会社が看板に手書きで「バレンタインセール」と書き、3日間のセールを行ったのが始まりといわれる。
しかし、最初は売れたチョコは30円の板チョコわずか5枚…。
大赤字に会社中がガックリした。
さて、前年の痛い失敗を活かすべく、メリーチョコレートがとった戦法は、ハート型のチョコをつくり、「女性から男性へ」のキャッチフレーズを掲げ売ること。
この作戦は見事、的中!
で、この商法に目を付けた大手の森永製菓が1960年にマスコミを通じて、バレンタインデーの宣伝を大々的にはじめた。
そして、各チョコレート会社も、それに追随…。
1970年代には “女性から男性へチョコを送る”バレンタインデーが定着する。
では、本来、バレンタインデーとは、どのような日なのだろうか?
バレンタインデーの起源は269年にローマ皇帝の迫害下で殉教した聖バレンティヌスに由来する記念日であるとされる。
ウィキペディアによると、バレンタインデーの歴史は、ローマ帝国の時代にさかのぼるとされる。
「当時、ローマでは、2月14日は女神ユノの祝日だった。
ユノはすべての神の女王であり、家庭と結婚の神でもある。
翌2月15日は、豊年を祈願する(清めの祭りでもある)ルペルカリア祭の始まる日であった。
当時若い男たちと娘たちは生活が別だった。
祭りの前日、娘たちは紙に名前を書いた札を桶の中に入れることになっていた。
翌日、男たちは桶から札を1枚ひいた。
ひいた男と札の名の娘は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていた。そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚した。
ローマ帝国皇帝クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、ローマでの兵士の婚姻を禁止したといわれている。
キリスト教司祭だったウァレンティヌス(バレンタイン)は秘密に兵士を結婚させたが、捕らえられ、処刑されたとされる。
処刑の日は、ユノの祭日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれた。
ウァレンティヌスはルペルカリア祭に捧げる生贄とされたという。
このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となったというのが一般論である。」
このように歴史をたどると、この日が男女の愛の誓いの日になったという事は納得のいくことで、欧米では花やケーキ、カードなどを恋人に(男女相互に)贈ることになっている。
これと対比して、いかに日本のバレンタインデーが本来のものからかけ離れたものになっているのかがよく分かるだろう。
こうした日本と欧米のバレンタインデーの違いを映像で理解するのに適していると言えば、2010年に公開された『プリティー・ウーマン』のゲイリ・マーシャル監督による作品
『バレンタインデー』
2009年 アメリカ映画 原題「VALENTINE'S DAY」
監督:ゲイリー・マーシャル
出演:アシュトン・カッチャー、ジェシカ・アルバ、ジェシカ・ビール、他

バレンタインデーという日に絡む15の物語を絶妙なタッチで最終的に交錯させる素敵な作品。結構、評価が低い人もいるけど、私は好きな作品でDVDも購入しました。
内容は、いたってシンプル…。
一緒に暮らす恋人に、朝一番でプロポーズをした花屋を営む男。
笑顔で婚約指輪を受け取った彼女は、彼が出かけた後に、なぜか部屋の荷物をまとめ始める…。
飛行機でたまたま隣り合わせた男女。
男は洗練された物腰が魅力的な30代。
女は11ヶ月ぶりに一晩だけ、LAでの滞在許可が出た軍人。
会話を交わすうちに惹かれ合う二人だが、共に目的地には意外な人が待っている…。
理想の男性と出会い、幸せいっぱいの小学校教師。
仕事で出張に行く彼をこっそり追いかけると、彼は飛行場ではなく、秘密の場所へと向かっていた…。
結婚50年を過ぎても変わらぬ愛を誓い合う夫婦。
だが、よりによってこの日に、妻は夫に重大な告白を始める…。
有名アメフト選手のマネージャーをする女は、今年も開催予定の“バレンタインデーなんか大嫌いだ!パーティ”の参加者がまだゼロと知り焦る。
そんな彼女に近づくスポーツキャスターは、彼女がバレンタインデーを嫌う本当の理由を知った時から、彼女の存在が気になり始め…。(goo映画より)
といった感じ…。
気になった方は、作品を鑑賞下さい。
で、この作品を通して、日本とはこの辺が同じ、ここが違うということがよく分かりますよ。
「評価 ★★★★★ ★★★★☆ 90点」
さーて、今年こそは、事前にチョコを妻に予約しておこうかな。
実は、結婚して10年になるが、いまだチョコをもらった記憶がない…。
バレンタインデーが終わった後、「今年もなかった…」とぼやくと、「だって甘いもの好きじゃないでしょ!だからだよ…」とはぐらかされる。
毎年、同じ会話なんですけど…。
カンの鋭くない方でも、そういわれるとピンとくるだろう。
そう、あの憎っくき“バレンタインデー”である。

見栄っ張りで世間体を気にする“私みたいな”男性にとって、この日にチョコをもらえるかどうかは、すごく大事なことだった。
“だった”というのは、若いときに気にしていたということで、今現在はチョコなんてもらえようがそうでなかろうが、全く関係ない。
小学校の頃には、家に1つもチョコを持ち帰らない情けなさを隠すために、帰り道の売店で1つチョコを買って帰るということまでした…。

何であんな事までしたのかは、いまだ理解できないが、世の中の誰もが公認する“1年に一度の女性の告白のチャンス”で周囲が盛り上がっている状況から、一人ぽつんと取り残されてしまった寂しさの埋め合わせだったのだろうか。
学校現場でも早々と1月下旬あたりから、生徒の中にバレンタインの話題が上っていた。
あるクラスでは、もらえない人をなくすために、クラスの女生徒全員から男子全員にチョコをあげようという方法にしたらしい。
なんとも慈悲深いシステムである。
私が悩んだあの時代にこんなシステムがあったらありがたかったが…。
しかし、我がクラスにもこうしたシステムを取るクラスがあることを説明し、内々で女子に“ウチのクラスでもどう?”とすすめたのだが、おおかたOKをもらいはしたが…“えっ、嫌だ”

そうでもない人に“手渡し”でチョコをあげるのが嫌みたいだ。
その後は、クラス内ではその話題から極力避けるようにしてきたが、来週どうなる事やら…。
世の中の男子には、この日に恨み辛みを持つ者も多く、こんな歌まである。
さて、そもそも女性から意図する男性にチョコをあげるという日にバレンタインデーが位置づけられたのは、1958年のことである。
バレンタインデーがそのように位置づけられているのは、いたって日本的な事であり、商業主義に乗せられてしまっている事は、知る人ぞ知る事である。
1958年、新宿・伊勢丹の売り場で、メリーチョコレート会社が看板に手書きで「バレンタインセール」と書き、3日間のセールを行ったのが始まりといわれる。
しかし、最初は売れたチョコは30円の板チョコわずか5枚…。
大赤字に会社中がガックリした。
さて、前年の痛い失敗を活かすべく、メリーチョコレートがとった戦法は、ハート型のチョコをつくり、「女性から男性へ」のキャッチフレーズを掲げ売ること。
この作戦は見事、的中!
で、この商法に目を付けた大手の森永製菓が1960年にマスコミを通じて、バレンタインデーの宣伝を大々的にはじめた。
そして、各チョコレート会社も、それに追随…。
1970年代には “女性から男性へチョコを送る”バレンタインデーが定着する。
では、本来、バレンタインデーとは、どのような日なのだろうか?
バレンタインデーの起源は269年にローマ皇帝の迫害下で殉教した聖バレンティヌスに由来する記念日であるとされる。
ウィキペディアによると、バレンタインデーの歴史は、ローマ帝国の時代にさかのぼるとされる。
「当時、ローマでは、2月14日は女神ユノの祝日だった。
ユノはすべての神の女王であり、家庭と結婚の神でもある。
翌2月15日は、豊年を祈願する(清めの祭りでもある)ルペルカリア祭の始まる日であった。
当時若い男たちと娘たちは生活が別だった。
祭りの前日、娘たちは紙に名前を書いた札を桶の中に入れることになっていた。
翌日、男たちは桶から札を1枚ひいた。
ひいた男と札の名の娘は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていた。そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚した。
ローマ帝国皇帝クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、ローマでの兵士の婚姻を禁止したといわれている。
キリスト教司祭だったウァレンティヌス(バレンタイン)は秘密に兵士を結婚させたが、捕らえられ、処刑されたとされる。
処刑の日は、ユノの祭日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれた。
ウァレンティヌスはルペルカリア祭に捧げる生贄とされたという。
このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となったというのが一般論である。」
このように歴史をたどると、この日が男女の愛の誓いの日になったという事は納得のいくことで、欧米では花やケーキ、カードなどを恋人に(男女相互に)贈ることになっている。
これと対比して、いかに日本のバレンタインデーが本来のものからかけ離れたものになっているのかがよく分かるだろう。
こうした日本と欧米のバレンタインデーの違いを映像で理解するのに適していると言えば、2010年に公開された『プリティー・ウーマン』のゲイリ・マーシャル監督による作品
『バレンタインデー』
2009年 アメリカ映画 原題「VALENTINE'S DAY」
監督:ゲイリー・マーシャル
出演:アシュトン・カッチャー、ジェシカ・アルバ、ジェシカ・ビール、他

バレンタインデーという日に絡む15の物語を絶妙なタッチで最終的に交錯させる素敵な作品。結構、評価が低い人もいるけど、私は好きな作品でDVDも購入しました。
内容は、いたってシンプル…。
一緒に暮らす恋人に、朝一番でプロポーズをした花屋を営む男。
笑顔で婚約指輪を受け取った彼女は、彼が出かけた後に、なぜか部屋の荷物をまとめ始める…。
飛行機でたまたま隣り合わせた男女。
男は洗練された物腰が魅力的な30代。
女は11ヶ月ぶりに一晩だけ、LAでの滞在許可が出た軍人。
会話を交わすうちに惹かれ合う二人だが、共に目的地には意外な人が待っている…。
理想の男性と出会い、幸せいっぱいの小学校教師。
仕事で出張に行く彼をこっそり追いかけると、彼は飛行場ではなく、秘密の場所へと向かっていた…。
結婚50年を過ぎても変わらぬ愛を誓い合う夫婦。
だが、よりによってこの日に、妻は夫に重大な告白を始める…。
有名アメフト選手のマネージャーをする女は、今年も開催予定の“バレンタインデーなんか大嫌いだ!パーティ”の参加者がまだゼロと知り焦る。
そんな彼女に近づくスポーツキャスターは、彼女がバレンタインデーを嫌う本当の理由を知った時から、彼女の存在が気になり始め…。(goo映画より)
といった感じ…。
気になった方は、作品を鑑賞下さい。
で、この作品を通して、日本とはこの辺が同じ、ここが違うということがよく分かりますよ。
「評価 ★★★★★ ★★★★☆ 90点」
さーて、今年こそは、事前にチョコを妻に予約しておこうかな。
実は、結婚して10年になるが、いまだチョコをもらった記憶がない…。
バレンタインデーが終わった後、「今年もなかった…」とぼやくと、「だって甘いもの好きじゃないでしょ!だからだよ…」とはぐらかされる。
毎年、同じ会話なんですけど…。
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Posted by no-bu at 16:01│Comments(0)
│日常の生活
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