格差社会、貧困化と事件の性質の変化の関連について
2008年06月10日
秋葉原通り魔事件で亡くなられた方々へのご冥福をお祈りすると共に、怪我をされた方の一日も早いご回復をお祈りします。
本当にショッキングなニュースで日本もここまで来たかという恐怖感、危機感を感じた。
事件の全容が明らかになっておらず、細かな分析もないなかで、このような書き込みをするべきではないとも思うのだが、今回の事件を見ていると、私がここ最近投稿してきた「派遣労働」の問題や「格差社会」、「貧困」の問題との関わりがとても大きいのではないかと思えてしょうがない。そのような指摘は、新聞紙上においても識者が論じている。
本当にショッキングなニュースで日本もここまで来たかという恐怖感、危機感を感じた。
事件の全容が明らかになっておらず、細かな分析もないなかで、このような書き込みをするべきではないとも思うのだが、今回の事件を見ていると、私がここ最近投稿してきた「派遣労働」の問題や「格差社会」、「貧困」の問題との関わりがとても大きいのではないかと思えてしょうがない。そのような指摘は、新聞紙上においても識者が論じている。
【琉球新報 6月9日(月)朝刊記事】
ジャーナリストの大谷昭宏さんは「同世代の若者らが集まり、休日を楽しんでいる場所が狙われた。社会への理不尽な恨みや、自分だけが取り残されているという疎外感が狂気につながったのではないか」と推測。レンタカーを使うなど計画性がうかがわれ、「(二000一年に)児童八人が殺害された大阪教育大学付属池田小の事件と同じ日というのも偶然ではないという気がする」と話した。
派遣労働者の実態に詳しい木下武男・昭和女子大学教授(労働社会学)は、「製造業への派遣は一ヶ月や二ヶ月という契約が多い。もともと低賃金の上、雇用調整に遭いやすく生活基盤が安定しない。家族を持つなどの将来設計も立てられないまま、不安を抱えている人は多い」と話す。
非正規労働は派遣分野の規制緩和などで労働者全体の三人に一人まで増えており、格差社会の大きな要因とされる。「格差やワーキングプア(働く貧困)が問題となるような今の競争社会に適合できず、不満を爆発させるタイプの犯罪が起きている。米国では断続的に銃乱射事件が起きているが、犯罪の米国化が進んでいるともいえる」と指摘するのは藤本哲也・中央大教授(犯罪学)だ。(派遣の問題については、読書の記録~「派遣のリアル」~にも書いています。)
労働現場の実態に詳しいルポライターの鎌田慧は、一九六八年に十九歳で連続射殺事件を起こした永山則夫元死刑囚を想起しながら次のように述べている。
【琉球新報 6月10日(火)朝刊記事】
「派遣は季節工よりも労働条件が劣悪だ。必要な時にしか雇われない。そして食うのが精一杯の不安定な生活を強いられる。収入が減ると家賃も払えない。追い立てられるような切迫感、どうにもならない焦燥感があったのではないか。」
「自動車製造は塗装工程などではロボット化が進んだが、加藤容疑者が担当していたという検査工程は集中力を要する仕事で、精神的に疲れていた可能性も考えられる。自動車工場における『人間疎外』の実態は、わたしがいた当時とあまり変わらない。派遣労働者へのケアはさらに少なく、工場の同僚と酒を飲む憂さ晴らしさえできない。」
「犯行現場の秋葉原はIT産業の中心地で、加藤容疑者には羨望と反感があったと思う。秋葉原の事件は、労働者を憂き目に遭わせてきた“つけ”ではないか。永山事件の時代は事件を社会問題扱った。最近は事件をすべて個人の心の問題に帰結させる傾向があるが、社会構造を変えないと犯罪は起き続ける。」
「事件は労働者問題、格差社会問題を再考するよう、現代社会に突きつけられた警告と考えたい。」
まさに私もこれらの主張に共感する。先日も読書の記録~「貧困襲来」、「反貧困」~でも書いたように、「若いんだから死ぬ気になれば何だってできるはず、考え方が甘いんだよ」と若者を批判するのは、全くのナンセンスであると考える。現在の日本社会には、貧困へと一般市民を落とし込んでいく強力なメカニズムが存在しており、そのメカニズムこそが何であるのかという事を政策的に分析しない事に問題があるのだ。そのメカニズムとは、人間の生活のちからとしての「溜め」を奪っていく。その溜めが奪われていくメカニズムとは、「教育が保障されていないこと」、「非正規職への就業者には企業福祉が適用されぬこと」、「公的な支援が受けられぬこと」、「家族の支えが得られぬこと」、そして、「『自己責任』『自助努力』の名の下に『うまくいかないのはぜんぶ自分のせい』と納得させられてしまう社会の風潮」であり、そのようなメカニズムから脱する機会と制度を創造しなければ、もっと状況は悪化していくのではないかと思う。制度や政策も人を貧困へと追いこんでゆくメカニズムを見ようともせず、努力が足りないと切り捨ててている現在の状況からは、そのような暗い未来しか想像できないと考えるのは短絡的だろうか?
ジャーナリストの大谷昭宏さんは「同世代の若者らが集まり、休日を楽しんでいる場所が狙われた。社会への理不尽な恨みや、自分だけが取り残されているという疎外感が狂気につながったのではないか」と推測。レンタカーを使うなど計画性がうかがわれ、「(二000一年に)児童八人が殺害された大阪教育大学付属池田小の事件と同じ日というのも偶然ではないという気がする」と話した。
派遣労働者の実態に詳しい木下武男・昭和女子大学教授(労働社会学)は、「製造業への派遣は一ヶ月や二ヶ月という契約が多い。もともと低賃金の上、雇用調整に遭いやすく生活基盤が安定しない。家族を持つなどの将来設計も立てられないまま、不安を抱えている人は多い」と話す。
非正規労働は派遣分野の規制緩和などで労働者全体の三人に一人まで増えており、格差社会の大きな要因とされる。「格差やワーキングプア(働く貧困)が問題となるような今の競争社会に適合できず、不満を爆発させるタイプの犯罪が起きている。米国では断続的に銃乱射事件が起きているが、犯罪の米国化が進んでいるともいえる」と指摘するのは藤本哲也・中央大教授(犯罪学)だ。(派遣の問題については、読書の記録~「派遣のリアル」~にも書いています。)
労働現場の実態に詳しいルポライターの鎌田慧は、一九六八年に十九歳で連続射殺事件を起こした永山則夫元死刑囚を想起しながら次のように述べている。
【琉球新報 6月10日(火)朝刊記事】
「派遣は季節工よりも労働条件が劣悪だ。必要な時にしか雇われない。そして食うのが精一杯の不安定な生活を強いられる。収入が減ると家賃も払えない。追い立てられるような切迫感、どうにもならない焦燥感があったのではないか。」
「自動車製造は塗装工程などではロボット化が進んだが、加藤容疑者が担当していたという検査工程は集中力を要する仕事で、精神的に疲れていた可能性も考えられる。自動車工場における『人間疎外』の実態は、わたしがいた当時とあまり変わらない。派遣労働者へのケアはさらに少なく、工場の同僚と酒を飲む憂さ晴らしさえできない。」
「犯行現場の秋葉原はIT産業の中心地で、加藤容疑者には羨望と反感があったと思う。秋葉原の事件は、労働者を憂き目に遭わせてきた“つけ”ではないか。永山事件の時代は事件を社会問題扱った。最近は事件をすべて個人の心の問題に帰結させる傾向があるが、社会構造を変えないと犯罪は起き続ける。」
「事件は労働者問題、格差社会問題を再考するよう、現代社会に突きつけられた警告と考えたい。」
まさに私もこれらの主張に共感する。先日も読書の記録~「貧困襲来」、「反貧困」~でも書いたように、「若いんだから死ぬ気になれば何だってできるはず、考え方が甘いんだよ」と若者を批判するのは、全くのナンセンスであると考える。現在の日本社会には、貧困へと一般市民を落とし込んでいく強力なメカニズムが存在しており、そのメカニズムこそが何であるのかという事を政策的に分析しない事に問題があるのだ。そのメカニズムとは、人間の生活のちからとしての「溜め」を奪っていく。その溜めが奪われていくメカニズムとは、「教育が保障されていないこと」、「非正規職への就業者には企業福祉が適用されぬこと」、「公的な支援が受けられぬこと」、「家族の支えが得られぬこと」、そして、「『自己責任』『自助努力』の名の下に『うまくいかないのはぜんぶ自分のせい』と納得させられてしまう社会の風潮」であり、そのようなメカニズムから脱する機会と制度を創造しなければ、もっと状況は悪化していくのではないかと思う。制度や政策も人を貧困へと追いこんでゆくメカニズムを見ようともせず、努力が足りないと切り捨ててている現在の状況からは、そのような暗い未来しか想像できないと考えるのは短絡的だろうか?
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Posted by no-bu at 07:19│Comments(0)
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