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11月28日の記事

2015年11月28日

ラグビーのルールとサッカーのルールに共通する反則、それがオフサイド。
しかしながら、サッカーとラグビーのオフサイドの大きな違いは、ラグビーのそれがサッカーのオフサイドに対して複雑で難解なことであろう。
ラグビーには、その他にも難解なルールがたくさんあるが、大きな男たちがチームメートのために体を張りトライを目指す中で、荒々しく野生的なプレーをしながらも、瞬時にそのプレーがルールに適合するのかしないのかを判断しながら、ルールにのっとり紳士的にプレーするところにその魅力がある。

簡単に両者のオフサイドの違いについていうと、サッカーではオフサイドはハーフウェイ・ラインより前方の相手方エリアだけに適用されるが、ラグビーでは敵味方の両方のエリアに適用され、そこにはジェネラルなオフサイドだけでなく、アクシデンタル・オフサイドに始まり、リメイン・オフサイド、10mオフサイドなど、様々な場面でのオフサイドが規定されており、選手はそれらを瞬時に判断しなければならない。






























[目次]
序章 オフサイドとは何か(問題の所在;オフサイド・ルールの条件;オフサイドの適用 ほか);
第1章 オフサイド以前(分岐点;いろいろなフットボール;マス・フットボール ほか);
第2章 オフサイドの出現(生活感覚の変化;「校庭」の成立;「校庭のフットボール」の特徴 ほか);
終章 具体から抽象へ

本書で初めて知ったことがたくさんあった。
だんだんと読み進めていくうちにのめり込み、あっという間に三時間くらいで読了。
掻い摘んで説明すると、もともと、フットボールは、街の中でボールを奪い合いながら敵陣までボールを運ぶ祭りの行事だったらしい。
そこで、祭りの日は、非日常のハレの日であり、かつこうした祝祭は共同体の絆を強めることも目的としている。
だから、この場合に大事なのは、勝敗ではなく、できるだけ長い時間試合の楽しみが続くことであった。
また、面白いことに、こうした祝祭のフットボールは無礼講が許されており、しばしば強欲な領主や不正な蓄財をしている地主を襲撃する口実としても使われた。
そのため、ある時期には、祝祭としてのフットボールは禁止令を出され、制約を受けることもあった。
その後、パブリックスクールが隆盛となり、それまで街の中や空き地で行われたフットボールが校庭で行われるようになり、次第にその中身が変化し、競技へと移行する。
勝敗を競うものに変わったのだ。
しかしながら、そうなった後も1点先取と長時間享受の伝統は保持された。
その1点先取と長時間のプレーを成立させるために、ゴールに向かいながらボールの前方でプレーするすることを制限する一見不合理なオフサイドのルールが残ったという訳である。

「こそ泥のように」「ぶらぶら」と「意図的」に「チームを(離れた)位置」でプレー」し、得点のために手段を選ばない「勝利志向的な−したがって競技を早く終了させる−行為」(本書p242)は、フットボールの醍醐味を破壊する「汚い」プレーとして指弾ないし禁止されるようになる。

歴史を紐解くことで、あらためて、フットボールだけでなく、ラグビーの奥深さを知り、さらにラグビーが好きになった。

ラガーだけでなくフットボールプレーヤーもぜひ読んでみてほしい一冊である。
  


Posted by no-bu at 17:03Comments(0)

ピロリ菌との長い長い闘い

2015年11月25日

ひさしぶりのブログアップです。

いやー、長い戦いがようやく本日終わりました。
ピロリ菌との過酷な戦いです。

私の胃の中にピロリ菌が発見されたのが、ちょうど二年前の人間ドックの時でした。
人間ドックでは、一年に一回かならず胃カメラ検査をするようにしています。
二年前の胃カメラでお医者さんから「胃が若干あれているからピロリ検査してみる?今年から保険適用になったし」といわれ、検査をしてからでした。
少し前までにピロリ菌による胃がんリスクの増大に関する記事を読んだことはありましたが、その時までは、あまり周りにピロリ菌の感染の話は聞いたことがなかったので、「まさか自分にピロリ菌なんかいないわな」と思っていました。
しかし、結果は、立派な黒。うわーん
それも結構な黒らしく、お医者さんから「どうする除菌する?」と聞かれましたが、なぜかしら少しためらったあげく、「しばらく考えてからにします」と返事、それからなんとなく1年がたってしまいました。

で、今年の夏の人間ドックでまたもや医者に警告を発せられ、ピロリ菌のリスクについて重々と説明されました。
まず、「ピロリ菌は慢性胃炎や胃潰瘍になる原因の1つではなく、原因そのものである」ということ、
そして、「ピロリ菌が人体に与える主な影響は、
1.慢性胃炎や胃潰瘍、十二指腸潰瘍を誘発する 
2.胃がんになる確率が20倍以上に跳ね上がる 
3.胃MALTリンパ腫といった胃の病気にかかりやすくなる。
つまり、ピロリ菌の感染が続くと感染範囲が“胃の出口”の方から“胃の入口”の方に広がって、慢性胃炎(ヘリコバクター・ピロリ感染胃炎)がすすみ、この慢性胃炎が、胃潰瘍や十二指腸潰瘍、萎縮性胃炎、胃がん、さらには全身的な病気などを引き起こすおそれがある」という説明を受けました。

で、今回ばかりは、こんなにきつく説明を受けたので、「やります」と即答したのです。
そして、抗生剤をもらい1週間飲み続けた後、その2カ月後にまた、検査を受けることになりました。

さて、ピロリ菌について、あまりにも知識不足だった私は、薬の服用を始めると同時に、すぐにお勉強を始めました。
それによると、「胃の中はpH1~2と高い酸性で、とても生物が生きていけるような環境ではないが、ピロリ菌は胃酸を直接触れないように、自らが住みやすい環境を作りだしているから生息できることを知りました。
ピロリ菌はらせん状をしており、数本のべん毛を持っていて活発に動き回っており、胃の粘膜に好んで住みつき、粘液の下にもぐりこんで多くの胃酸から逃れている。
さらにピロリ菌は胃酸に耐えて抜くためにウレアーゼと呼ばれる酵素を吐き出す。
この酵素は胃粘液の成分である尿素アンモニアと二酸化炭素に分解する。
この分解された強アルカリ性のアンモニアで自分の周りを覆って、強酸性の胃酸と中和させ、胃の中の強酸性の状況下でも生きていける環境を自ら作り出している。
ここで、このピロリ菌が発生させるウレアーゼを含めた毒素が、私たちの胃粘膜に障害をもたらすことを知りました。












ピロリ菌の検査は、
(1)採血や採尿して抗体を調べる検査
(2)検査薬を服用した後に呼気を調べる検査
(3)便中の抗原を調べる検査
(4)内視鏡で直接胃の粘膜を採取して調べる検査
に大別されますが、呼気検査が一般的です。
尿素呼気試験法というものです。
尿素を含んだ検査薬を服用する前に、袋の中に呼気を採取します。
その後、検査薬を服用し、ある程度時間がたった後に、再度呼気を採取します。
その際に、両方の二酸化炭素の量で判断するわけです。
上に書いたように、ピロリ菌が、尿素をアンモニアと二酸化炭素に分解することを利用した検査法です。

2013年から保険診療対象になりましたが、保険診療の枠の中で除菌するには、内視鏡検査で胃炎があることが診断されなければなりません。
私の場合は、人間ドックでの胃カメラの検査により胃炎の症状があったために保険適用となりました。
しかし、だいたいの人がピロリ菌の疑いをかけられるのが、胃カメラではないでしょうか。

私が、最初に飲んだ薬がランザップという薬でした。これには、胃酸分泌抑制薬であるPPI(プロトンポンプ阻害剤)と2種類の抗生物質であるアモキシシリンとクラリスロマイシンが含まれています。
この抗生剤の服用は、肝臓にダメージを与える可能性があるために、服用中の前後は飲酒を規制されます。
これが、一番何よりもきついのです。ベー

しかし、にっくきピロリ菌の退治のために頑張りました。
そして、2カ月後に再度、通院し呼気検査を受けて菌が死んでしまったかどうかを検査します。
で、その結果、菌がまだ死んでいませんでした。
1回目の除菌の確率は、約70%らしいです。私は、30%の中に入って強い待ったわけです。

















では、なぜ、私の菌は1回で死ななかったのか?
問題は、除菌に使うクラリスロマイシンへの耐性を獲得したピロリ菌であったということです。
風邪で医療機関を受診するとしばしば抗菌薬が処方されますが、なかでもクラリスロマイシンは幅広い種類の菌に効く抗菌薬なので、かなり多用されているようです。
その結果、知らないうちに胃の中のピロリ菌がクラリスロマイシンに対する耐性を獲得してしまっている人が少なくないということ。

ここで、苦しい二回目の菌との戦いを決意します。
今回は、1回目に飲んだクラリスロマイシンを、より強力な抗生剤であるメトロニダゾールに変えチャレンジ、9月の一番ビールがおいしい時期に、実は私は3週間も酒を断った時期がありました。
その辛さといったら。

その辛い戦いの成果もあり、本日の検査でしっかりとピロリ菌さんがいの中から撲滅されていることを確認できました。
実は、二回目のチャレンジの前に、お医者さんに二回目でも不成功になる確率はあるのですか?と質問したら、成功率は98%だから、まれに2%は不成功になる可能性もあるよといわれ、その2%に入るのではと心配していましたが、良かったです。

一度、ピロリ菌を除去すると、川の水や沢の水などの生水を飲まない限りは、二度とかからないらしいです。
これからは、注意したいと思います。
  


Posted by no-bu at 13:17Comments(0)日常の生活

R1づくりに挑戦

2015年03月24日

先日、購入したヨーグルティアで、今回はR1ヨーグルトの作成にチャレンジしてみました。
材料は、R1のドリンクタイプと牛乳1本、砂糖大さじ2杯です。
まず、最初にヨーグルティアの容器に水を入れて、レンジで煮沸消毒します。
その間に牛乳を軽く沸騰させます。これは砂糖を殺菌する意味もあるとか。
そのあと、牛乳が人肌になるまで待って、ドリンクタイプのR1を入れて混ぜます。
その後は、42℃設定で11時間醗酵させた後、冷蔵庫で冷やします。
できあがりは、こんな感じ。


































初めてにしては、美味しくできたと思います。

今回は、こちらのサイト参考にしました。

明治のサイトには、
R1を種菌にしてヨーグルトを作ることはできるが、R1の特徴である1073R1が作り出すEPS多糖体を同等量作り出すことはできませんとの記述が、

同等量でなくても、近づけているんなら良いかと、ちょっと妥協。
美味しいから良いかと。

あと、別のサイトには、牛乳を沸騰させなくても大丈夫みたいな記述もあるので、次回はそのままの状態でチャレンジしてみたいと思います。
  

Posted by no-bu at 18:24Comments(0)日常の生活

ヨーグルトメーカー参上!

2015年03月20日

我が家に頼もしい相棒がやってきました。

それは、これ!











タニカのヨーグルトメーカーです。
少し前に妻がカスピ海ヨーグルトの種を職場から貰い受け、それをもとに少し大きめのタッパーに牛乳を入れて、一晩寝かせることでヨーグルトを作ってきました。
最近では、子供たちもヨーグルトが好きになり、家庭での消費量が増え、毎日作るのが大変そうだなと感じるようになっていました。
そこで、この話を同僚にすると、このヨーグルトメーカーの存在を教えてもらいました。

すぐにAmazonで注文!
さすが、Amazon、在庫があったので、なんと注文から3日後には到着です。
さっそく使用してみましたが、噂以上に一度にたくさん作れます。

一度に牛乳パック大を一本使用して作りますので、かなりの量です。
































二度ほどカスピ海ヨーグルトを作りましたが、次は市販のR1ヨーグルトの作成にもチャレンジしたいと思います。
最近ではインフルエンザ予防に効くと話題になり少し品薄状態の商品ですが、これが家庭でできるようになるとかなりコストダウンです。

  

Posted by no-bu at 15:54Comments(0)日常の生活

Hold your last chance!!

2014年08月22日

渡嘉敷研修ようやく最終日を迎えました。
今日の渡嘉敷から本島の眺め。






昨日までは、クッキリと本島を望めましたが、今日は海上に水蒸気のモヤがかかっていて霞んでいます。夏はだいたいこんな感じたそうで、昨日までのようにクッキリと本島が見えるのは、珍しいようです。
ラッキー!!

さて、話はかわりますが、お酒にまつわる話を。

酒というものは本当に恐ろしいものです。普段は、冷静でクールでとても頭の切れる人をも、全く反対の人間に変貌させてしまいます。

渡嘉敷研修も二日目。
午前の海洋実習から午後の講義、そして野外炊事実習と盛りだくさんの内容をこなしました。
そして、例のごとく夜の会へ。

昨晩の会は、三味線なども登場し、かなり盛り上がりました。
しかし、明日があるということで11時にはいったん終了。
私は疲れもあってか、そのまま部屋に帰り床につきました。

2時間ほど寝たでしょうか?
トイレに行きたくなり目を覚ますと、二次会を終えて帰ってくる面々。
本当にタフな皆さんです。

挨拶を終えて再び床に。

しかし、2時間ほど寝たでしょうか。忙しくもぞもぞする隣人。

???

その激しさに目を覚ますと、いきなりむくっと立ち上がり、入り口と反対の私の方に歩いてくるではないですか。

私は、完全に???状態で、その行動を観察していましたが、その隣人、いきなりカーテンを明けたかと思うとスボンを下げやがる。

えっ〜〜、まさか。

放尿???

もちろん、こんなところにオシッコされたらたまりません。

大きな声で、「先輩〜〜、何してるんですか、トイレはここじゃないですよ❗️」

しかし、完全に酔っ払いの隣人は、「へ???」と言って、いっこうにやめようとしないので、ついに私は、立ち上がり静止し、トイレまで同行するはめに。

なぜか、その時に頭を駆け巡ったのが、この歌。


http://youtu.be/yGa12KsJmL4


普段は、冷静でクールでとても頭の切れる先輩で、非常に女性からも人気のある方をも、こうまで荒くれ者に変貌させてしまうお酒。

本当に恐ろしいものです。

皆さんもお気をつけて。
節度のある飲酒を!!
  

Posted by no-bu at 07:52Comments(0)日常の生活

人騒がせな奴

2014年08月21日

私は、相変わらず人騒がせな奴ですまたまた、やらかしてしまいました。

昨日から参加の教員免許更新講習in渡嘉敷島。

研修初日、30分前には、集合場所のとまりんについていたのですが、観光客などがごった返していて、満車状態

慌てて駐車場を探そうとすると、とまりんの駐車場の案内人が三井のリパーク、いわゆるTIMESパーキングを教えてくれた。

表示は、30分100円、最大12時間までは700円の看板表示。
慌てていたのと、安易に最大700円だからという点だけが頭にあって、そのまま駐車して集合場所までダッシュ

無事に乗船し、しばらくして気持ちが落ち着いて、色々これからのことなどに思いを巡らせていると、ふと駐車料金のことが気になり出した。

ネットを調べると、駐車場の入り口の写真が見れた。
確かに最大12時間700円とある。しかし、その横に小さく30分毎に100円の表示が。

ということは、あれかい?
三日間とめるとなると、700円+200円×60時間=12900円?
おいおい。
がびーん

やばい❗️❗️
瞬間的にそう思って、駐車場の管理会社を探して、駐車場の場所もちゃんと伝えて、どうなるの?って聞いたところ。

そうなりますねー。
システムがそうですから。

と一蹴され、気持ちはさらに⤵️

あー、駐車場代金にそんな金は絶対にかけたくない。
どうにかして車を動かさなくては!

色々と思いを巡らせて、良いアイデアがないか考えたが、やっぱりこの方法しかない

車のキーをどうにかして、渡嘉敷から本島に帰る船に乗船する人に託す。
本島でキーを受け取り車の移動をしてくれる人を探す。

そうと決めたら、即行動の私

那覇に勤務する元同僚に電話し事情を話し、忙しい中、講座の合間をぬってキーを取り、車の移動をしてもらう段取りを整え、研修先の職員に無理に頼みキーを乗船する人に渡してもらった。

で、無事に先ほど車の移動は終了。

で、送られてきた写真がこれ!



料金からすると、12時間毎に最大料金は700円で、24時間で1400円+1時間30分ぶんの300円で、1700円なり!

つまり、三日間駐車しても、4200円だったってこと。
それなら、そのままでもよかった訳で

色々、忙しい中やってくれた茜ちん、本当にお騒がせしました。

この埋め合わせは必ずいたします。

相変わらず、人騒がせな奴の話でした。

ちゃんちゃん。
  

Posted by no-bu at 15:26Comments(0)日常の生活

麺屋 もとなり 名護店行ってみました

2014年04月29日

県内に何店舗ありますでしょうか?
麺屋もとなりチェーン。
ふと走っていたら名護にもオープンしているじゃありませんか。
場所は、北部合同庁舎むかい、居酒屋金太郎となりです。
外観はこんな感じ。


店内に入る前に、食券機で食券を購入します。
今回は、つけ麺好きな私の目に止まった、濃厚中華つけ麺を注文!

店内は、カウンター席が二つに、テーブル席が四席ほどあり、県内の有名どころのラーメン屋さんからのお花が幾つも並べてありました。
どんな関係なんでしょう?

カウンター席に座り待っていると、ゆで卵食べ放題のサービスが。
塩も柚子味とカレー味の二種類の塩がチョイスできます。



ようやく来ました注文の品が。
注文してから少し時間がかかりますね。


さてお味の方はと言いますと、麺は少々太めでコシがあり好きな方でしたが、スープがトンコツか魚介か?はっきりしない、イマイチ自己主張がたりない感じかしました。
また、チャーシューではなく肉の塊が入っていましたが、それが塩味が強すぎてスープの味の邪魔をしている感じがしました。意図的にやっているなら、かなりもったいありません。
残念です。

最後は、残ったつけ汁でサービスでカレーリゾットも食べれます。

このカレーリゾットくらい主張しても良いのにねー。
まあ、まだ開店間もないのでこれから改良するはずでしょうから、時間を置いてさいど、行きたいと思います。


  

Posted by no-bu at 12:18Comments(0)日常の生活

(読書の記録)「教室内(スクール)カースト」

2014年04月08日

さて、いよいよ昨日から新学期がスタートしました。

新学期を迎えて、生徒さんたちは新しいクラス環境と人間関係の中でどのように一年を過ごしていけるのか?
不安と期待でいっぱいでしょう。

他方で、この時期、期待感と不安感~多くの方は不安感のほうが強いはずですが、それを表立っては隠しています…~でいっぱいな方々がいらっしゃいます。
そう、教師の皆様です。
この時期に(感極まってか?)自己紹介で涙ぐんでしまう人もおります…。

もしかすると、近年話題の“学級崩壊”には絶対になりたくないと思うプレッシャーもあって、実は、子どもたちよりも教師のほうが不安感は強いのかもしれませんね。

こうした新学期によく言われるのが「黄金の三日間」というキーワードです。

これは、入学して最初の3日間だけは素直に教師のいうことを聞く期間がある。
この「黄金の三日間」の間に、担任が生徒のキャラクター把握および学級経営方針を決めてしまわないと、四日目からは生徒が反発し担当のクラスが学級崩壊する、とされる通説です。

この時に、一番、教師が気にするのが、それぞれの生徒のキャラクターだけでなく、学級間の生徒の序列構造…。

どの生徒・グループに最もちから(権力)があるのか?
どのような嗜好をもとにそれぞれのグループが構成されているのか?
個人間・グループ間の力関係はどうなっているのか?

など、など…。

教師は、学級担任として、はたまた教科担任として、これから(既に存在している)教室内に作られるはずの権力構造を事前に予想しようとする傾向が強いのです。

つまり、“黄金の三日間”という通説を信じ、それにもとづいて学級経営などを行おうとする教師は、学級が崩壊するのを防ぐために、まずは教室内に構成される権力構造を利用して、学級経営を行う傾向があるというわけです。


さて、この教室内、広くは学校内に形成される権力構造のことを指し“スクールカースト”なる言葉が近年よくつかわれます。

スクールカーストとは、主に中学・高校のクラス内で発生する階層のことです。

こうした教室(学校)内に潜むヒエラルキーに焦点を絞り、これまで蓄積されてきたいじめの研究を参照しながら、新たに学生や教師へのインタビュー調査を実施し、その本音を生々しく聞き出し、加えて、大規模アンケート調査もふまえ、それが維持される背景に迫ったのが、今回、紹介する「教室内(スクール)カースト」鈴木翔著、本田由紀解説、光文社新書です。



【目次】
はじめに
第1章 「スクールカースト」とは何か?
第2章 なぜ今、「スクールカースト」なのか?
第3章 「スクールカースト」の世界
第4章 「スクールカースト」の戦略
第5章 教師にとっての「スクールカースト」
第6章 まとめと、これからのこと
あとがき
解説/本田由紀

ネットで「スクールカースト」でググってみると、何と、ヒット数538000…。
いかに多くの人がこの言葉に興味を持ち、それについて書かれているかがわかります。

中には、「スクールカースト診断テスト」なるものも存在しました。

ちなみに、(適当に答えはしたが…)私のカーストはC軍、“あまりものグループ”らしいです。 ( ゚Д゚)
ちなみに、そのページでは、カーストのクラスは次のように説明されています。

【カースト説明】
S/Aクラス "1軍"とも。モテ層。Sクラスは学年に1人程度のレアキャラ。多くの異性・同性の人気を独占している。
Bクラス "2軍"とも。一般層。行動すれば、普通に恋愛市場には参入できる。
Cクラス "3軍"とも。非モテ層。クラスで班分けをすると、余りモノグループに入ることが多い。
Dクラス "アチュード"とも。不可視層。他の人からは存在自体がないものとされている。

鈴木氏によると「スクールカースト」は次のように定義されます。

同学年で対等なはずなのに、「あの子たちは『上』で、あの子たちは『下』」という序列を生徒たちが認識・共有すること


そして、鈴木氏によると「スクールカースト」という名前はつぎのように生まれてきたということでした。

2000年代後半に教室内で「下位グループ」であった子供たちがインドのカースト制度になぞられて鬱積した不満をネット上に書き込んだことにより広まった


教育評論家の森口朗氏が2007年に出版した「いじめの構造」という本の中で、『いじめモデル』にリアリティを持たせるため、『スクールカースト(クラス内ステータス)』という概念を持ち込んだ


さて、こうしたスクールカーストという言葉を表舞台にあげた最初の研究者は、本書の解説にも登場する本田由紀です。

それまで、宮台真司によると、現代の学校空間においては、クラス内にいくつかの友達同士のグループが形成され、それらの内部で活発に交流が行われるだけで人間関係が完結する現象がみられ、そうした現象は、教室内に限らず若者のコミュニケーション空間全般で発生しているとされていました。
そして、こうした若者の世界に発生している現象を「島宇宙化」と呼び、分断された各グループ(島宇宙)は優劣のつけられない横並びの状態(フラット化)になっており、異なるグループ間でのつながりが失われたとされていました。

しかし、これについて異議を唱えたのが上記の本田由紀です。

本田は、宮台が指摘するこうした分断化自体は認めながらも、教室内の各グループは“等価な横並び状態にあるのではなく”“序列化(上下関係の付与)が働いている”としたのです。
そして、この序列はスクールカーストと呼ばれ、教室内で、彼ら彼女らは、この上位層・中位層・下位層をそれぞれ「一軍・二軍・三軍」や「A・B・C」などと表現するようになったというのです。

では、こうした序列の構造が生み出される原因はどこにあるのでしょう。

森口朗によれば、スクールカースト上での位置決定に影響する最大の特性はコミュニケーション能力らしいです。

クラス内でのステータスの上下関係自体は以前からあったものの、それは運動神経や学力が大きく関係したものであっそうです。
しかし、現在では判断基準がほとんどコミュニケーション能力に依存している点がこのスクールカーストの新しい点であると指摘しています。
ここでいうコミュニケーション能力とは、具体的には「自己主張力(リーダーシップを得るために必要な能力)」、「共感力(人望を得るために必要な能力)」そして「同調力(場の空気に適応するために必要な能力)」の3つを指すようです。

他方で、コミュニケーション能力の有無に偏重したスクールカーストという序列が発生した背景には、学業成績の相対評価を廃止するなど生徒に対する序列付け自体を否定するような過剰な平等主義が指摘されています。

「学業成績」、「運動能力」といった(努力で挽回可能な)特性によるアイデンティティを失った子供たちは「人気(コミュニケーション能力)」という(努力で挽回不可能な)特性に依存した序列付けを発生させてしまったのだといいます。(和田)

私が本書を通じて、この教室内に存在する序列・階層構造の存在の問題で一番大きな問題だと感じたのは、そうした序列構造に対する教師の姿勢です。

先にもあげたように、鈴木氏によると、学校の先生もこのスクールカーストを利用して教室を経営しているのです。

本書でも紹介されていますが、鈴木氏が実際に現役の教師にインタビューしたところ、上記の黄金の三日間に教師が生徒のキャラクター把握および学級経営方針を決めてしまうことが非常に大事であること、そして、その三日間の間に教室内の「力関係」を把握し、誰と仲良くするかを決めておかなければならない、そして、その結果、仲良くするのは「上」の生徒ばかりになり、「下」の生徒は先生自身も無視しているようです。

私個人の感覚からすると、マジっすか?…( ゚Д゚)って感じですけど…。

本書に登場する高校教師のMさんによると、自分が望む方向に授業を持ってゆくには「上」の生徒を使うのが重要であると考えているようです。
彼は、これができない先生は「先生失格」とまで述べています。

また、別の高校教師であるKさんによると、「スクールカースト」による「地位の差」を何かしらの「能力差」と解釈しています。
そして、Kさんはスクールカーストなる階層・権力構造なるものを肯定したうえで、
自分自身の長所短所を把握するには、立場の強弱をわからなければならない。これ(スクールカースト)を通じて世の中にはたくさんこのような人たちがいるということを知っていかなければならない。ゆえに、コミュニケーション能力や人間関係を学ぶ上でも肯定しなければならない

とも述べています。

本書におけるインタビューの件数は、紙数の関係からか限られた数のものであることを考えると、このような考え方が一般的だと断定するのは危険なような感じがしますが、雰囲気的には多くの先生方がそう考えていると私も個人的には感じます。

しかし、大切なのは、いじめとこのスクールカーストの構造に関する相関もあり、いじめを助長する、もしくはいじめの構造の基盤となっている分部もあるはずであるということです。

さらには、スクールカーストの上位にいる者も下位にいる者も、この構造自体に精神的なプレッシャーやダメージを受けているということです。

そこで、そうした構造を横支えし強化する役割自体を教師自身が担っていて、それが生徒に息苦しさを与えているということを教師自身が意識する必要が非常に大事だと思います。

今後の研究のさらなる進展に期待したいと思います。

  


Posted by no-bu at 07:29Comments(0)読書

(読書の記録)生殖医療はヒトを幸せにするのか

2014年04月05日

小林亜津子著「生殖医療はヒトを幸せにするのか~生命倫理から考える~」を読了。



現在、生殖医療の発達には目覚ましいものがあるが、それは一方で不妊に悩む多くの人々に希望を与えているが、他方で今までになかった新たな問題を生み出している。

技術そのものはあくまでも中立的で、それを人類の幸福に役立てられるか、それとも社会に混乱を引き起こすかは、それを使う人間の「選択」にかかっているとも言われますが、「願望」「欲求」が実現できる技術の存在自体が、その状況に置かれた人びとに希望を与えたり、プレッシャーを負わせたりすることはままあります。(p208)


現在、日本では、7組に1組が不妊に悩んでいる現状があるようだ。
そのような現状に対して、昨今の“生殖補助医療(ART)の発達”は凄まじく、2010年にはその年に産まれた赤ちゃんの37人に1人が「試験管ベビー」ということで、不妊治療としての体外受精の割合がかなりの数に上っている。

加えて、近年、“卵子の老化”が大きくマスコミなどで取り上げられることで、若いうちから自らの卵子を凍結保存(=婚前卵活)するシングル女性も増加しているようだ。

さらには、2013年に始まった“新型着床前診断”は、基本的に、高齢出産に伴うリスクの回避が目的であるのだが、受精卵の染色体異常を調べて、健康に育ちうる胚だけを選ぶことが可能になったということで、これは見方・とり方を変えると、異常のない健康な“理想通りの赤ちゃん=デザイナーベビー”を意図的に作り出すことが可能になったということでもある。
このことはまた、同時に障碍をもつ方々への差別と排除を生み出しかねない。

こうしてみていくと、不妊の補助的な医療として始まった生殖医療=ARTは、多くの悩める人に希望を与えている反面、その技術が飛躍することで、生命操作まで可能にしている。
そして、それが今までなかった不自然な欲望を掻き立てると同時に、新たな苦悩を生み出すことにもなっている。

診断技術が発達するにつれて見つかる“異常”は増え、医療技術が進歩するにつれて治療すべき“疾患”の範囲も拡大します。
元来は自然な現象である“不妊”も、いつのまにか治療できる“疾患”とみなされるように。技術の進化は私たちに希望を与える一方で、子どもができないことを諦めることや、子どもを持たないと選択することを難しくしているのです。


とくに「生殖」の問題は「夫婦(カップル)」には子どもがいて当たり前」「親になって一人前」などといった伝統的な家族観や社会的通念と密接に関係しており、当事者たちがいやおうなしに「技術へのプレッシャー」にさらされるという状況にあります。
あるいは、こうした「子どもがいて当たり前」という社会通念を、カップル自身が知らぬ間に内面化し、自覚のないまま「子どもがほしい」「子どもをつくらねば」という願望に駆り立てられていることもあるでしょう。(p208~209)


出生前診断の進展もまた、「元気な子どもがほしい」というごく当たり前の親心から、技術があるのだから「健康な子どもを生まなくては」という無言の圧力へと変わっていく可能性をもっています。(p209)



(内容紹介)
◎男女産み分けは親の身勝手?
◎死んだ夫の精子はいつまで使える?
◎凍結卵子は女性にとっての「お守り」?
◎遺伝子検査で受精卵を「選ぶ」時代はくる?
(目次)
序章 倫理の追いつかない生殖技術
第一章 生物学的時間を止める ――卵子凍結で、ライフプランを意のままに?
第二章 王子様は、もう待たない? ――精子バンクと選択的シングルマザー
第三章 自分の「半分」を知りたい! ――生殖ビジネスで生まれた子どもたち
第四章 遺伝子を選べる時代は幸せか? ――遺伝子解析技術と着床前診断
第五章 生みの親か、遺伝上の親か? ――体外受精と代理母出産
第六章 「ママたち」と精子ドナー ――多様な夫婦と新しい「家族」
コラム1. 「不妊カップル」って誰のこと?
コラム2. 死後生殖
コラム3. 5人の親がいる子ども



本書では、さまざまな事例や映画作品を例に出すなど、非常にわかりやすく具体的である。

たとえば、上記の卵子を凍結保存(=婚前卵活)する技術の誕生は、卵子の老化におびえる30~40代女性にとっては、福音となる。
これにより、30代で十分にキャリアを築くまで、出産を先延ばしにするといったライフプランが可能になることで、女性の人生デザインはより自由なものになる。

また、凍結した精子を使った“セルフ受精”は、“結婚抜き”で子どもを持つこと(選択的シングルマザー)を可能にする。
理想の男性との出会いを待つよりも、みずから精子バンクに行き、血液型、身長・体重、目や髪の色、学業成績、運動神経などがカタログ化されたドナー情報をもとに冷凍精子を選ぶ時代が日本にやってくるのも、そう遠い話ではないのかもしれない。

そのことで、結婚という制度に縛られない“主体的・選択的シングルマザー”が多く誕生することで、女性の生き方の選択の自由が拡大することになる。

しかしながら、この技術は生の選択を市場に任せるという問題もはらんでいる。
ドナーから卵子や精子の提供を受け、代理出産による出産が行われているアメリカでは、“いのちのマーケット化”が進んでいる。
ホームページをクリックすると、提供者の顔写真がズラリと並んでいて、身長、体重、健康状態、髪や目の色などの項目が並ぶ。
さらに知能や容姿も選択できる。
卵子の場合、約60万円が相場のようだが、有名大学を卒業している、特別な資格を持っている場合には付加価値がつき、値段が2倍以上に高くなるそうだ。

アメリカで最も有名な精子バンクのHP

こうしたマーケット化の問題に関連して、代理懐妊・出産の分野でも新たな問題が発生する可能性がある。
たとえば、もうすでに起こりつつあることであるが、市場化の進展で、高額な費用を負担できる層の欲求への対応を商品化し、そこからより多くの利益を狙う者たちにより、代理懐妊・出産が経済的弱者や第三世界の女性が請け負わざるを得ない状況に追い込まれる可能性が大きい。生殖医療の発展、拡大に伴い、経済的弱者である開発途上国の女性が搾取されるかもしれないという危機を孕んでいる。

凍結精子による人工授精技術の進歩は、死後生殖も可能にしている。
日本産科婦人科学会では事実上認められていないが、世界的には、オランダ、カナダ、スペインなどでは、夫の死後12か月以内で生前同意があれば、凍結保存した精子を使って残された妻が亡き夫の子どもを生む死後生殖が条件付きで認められている。

日本では、2001年、四国に住む40代の女性が亡くなった夫の冷凍精子で出産した事例があるようだが、誕生時にすでに父親の死後300日を経過していたため、法的に子どもと父親の父子関係が認められなかったようである。
間違いなく遺伝的つながりのある親子なのに、親子と見なされなかった。

”遺伝子解析技術”で受精卵の性染色体を調べることによりほぼ確実に男女を産み分けることもできる。

アメリカやタイでは男女産み分けがさかんに行われており、日本でも150万円(渡航費含む)という費用にもかかわらず少なくとも90組の日本人夫婦がタイで産み分けを行っていることが2012年に判明している。

これらの事例を見ていくと、生殖医療の発展が人間を幸せにしている反面、新たな倫理的問題を生み出していることがよくわかる。

私たちは、当事者であろうとなかろうと、これらの事例をもとにしながら、具体的に技術と価値観のあいだに生じる多くの倫理的難問に真摯に向き合い、具体的な場面において、倫理的な判断を下せるような力を持たなければならない。

技術が進歩しても、人の心や教養がそれについていけないと感じる。
医療の進歩がいいのか悪いのか。
個人として判断できるだけの知識を、これからはもつ必要があると思う。


出生前診断を受けた東尾理子さんが、2011年10月17日、朝日新聞のインタビューに答えたコメントである。
  


Posted by no-bu at 19:51Comments(0)読書

ルーパー(映画鑑賞)

2014年04月02日

少しばかり時間ができたので『LOOPER/ルーパー』(Looper)を鑑賞したので簡単に感想を…。
この作品は、ライアン・ジョンソン監督による2012年のアメリカの作品。



出演は、『インセプション』のジョセフ・ゴードン=レヴィットと『ダイ・ハード』、『エクスペンダブルズ』シリーズのブルース・ウィリス。
ブルース・ウィルスに関しては、最近、何でもかんでも作品を選ばずに、やたらと出演している感じがしますが、その理由は何でしょう…?
なので以前は、彼が出演する作品にはあまり外れがなかったのですが、最近は、ガッカリさせられることも多くなりました。

これまで鑑賞した作品の中では、タイムトラベル系にはあまりガッカリさせられた経験はありませんが、「全く似ても似つかない二人が、それぞれ主人公の現在と30年後を演じるということ」と上記の理由を含めて、今回は、期待値を「TIME/タイム」レベル(見る前の期待感と見た後のガッカリ感のギャップは半端なかった)まで下げて鑑賞しました。

作品を簡単に説明すれば、タイムマシンで送られてきた人物を消すことを生業とするすご腕の殺し屋が、殺しのターゲットとして転送された未来の自分との追跡劇を繰り広げるというもの。
なぜ、追跡劇を繰り広げる羽目になったか?というところに若干の面白さがあるかも…。

ということで、Youtubeの予告編はこんな感じ…。




(出演)
ジョー /ジョゼフ・ゴードン=レヴィット
オールド・ジョー/ブルース・ウィリス
サラ/エミリー・ブラント
セス/ポール・ダノ
オールド・ジョーの妻/シュイ・チン


気軽に時間を潰すために見たい方は、これ以上ストーリーに関して知ってしまうと全く面白くなくなるので、ここでストップ。
おとなしく作品を鑑賞あれ!


さて、まず作品の柱、“なぜ未来から人間が送られてきて、それを始末するのか?”について。
1つ目に、未来で作られたタイムマシンは、いまだ不完全な作品で、いまだ30年前の過去にしか行けない一方通行であるため、公的な使用に関しては違法になっている。
しかし、それをどうしたか分からないが、犯罪組織が手に入れた。
2つ目に、完全な管理社会になっている未来では、死体の身元がすぐに割れてしまい、死体を処理できない状態にある。
3つ目に、タイムマシンを手に入れているマフィアにとっては、邪魔者を縛り上げ、マシンに乗せて、30年前に送り付け始末すれば未来の社会には何ものこらなくなるので、完全犯罪とすることができる。
そこで、マフィアは、30年前にエージェントを送り込みルーパーと称する殺し屋集団を組織させ、その時代の闇組織に殺害を依頼することにした。

ここで登場するのが、主人公の未来のルーパーであるジョー(ジョセフ・ゴートン・レヴィット)。
未来の殺し屋といっても、作業がいたって簡単。
ある場所で待ち受けて、タイムマシンで送られてきたターゲットを瞬間的にズドンと打ち殺すというもの。
いつものように、ターゲットが現れるのをいつもの場所で待っていると、目の前に現れたのは、なんと未来の自分…。
作品を真剣に見ていない私には、なぜそれが未来の自分だと分かったのかはいまだわからずじまいだが、その時ばかりは、なぜか目の前に現れたターゲットである30年後の自分オールド・ジョー(ブルース・ウィリス)を一発で仕留めることができず、最悪なことに取り逃がす始末…。未来の自分に髪がないのがよほどショックだったのだろうか…。"(-""-)"

最悪なことには、ただ殺されるために送られてきたはずの未来の自分には、ある目的があった。
この目的こそが、本作品を面白くさせるはずのスパイス。
で、主人公はそれを阻止するとともに、相手を殺害しなくてはならない状況に追い込まれ、追跡劇が始まるというもの…。

ここまで読んでくれた方に、いまさら言うのもなんだが、これ以上、書くと作品を見る価値が全くなくなるし、そろそろ出勤の時間なので、今回はここまでにしておきましょう。

作品中の粗を楽しみながらも、気軽に楽しんで見れるということで、評価「★★★☆☆60点」とします。

  


Posted by no-bu at 08:17Comments(0)映画

レイヤー化する世界

2014年04月01日

近代が終わりをつげ、その後に待ち受けている世界がどのような世界になるのか?ということに関する書籍は少なくない。
近代という時代を支えてきた“国民国家”と“民主主義”などといったカテゴリー等がインターネットの普及とともに崩れはじめ、何かしか実態がつかめない新しい世界システムが勃興しつつある今このときに、そのシステムがどのようなものであるのか、その世界での生き方とはどうあるべきかを描いているのが、「レイヤー化する世界~テクノロジーとの共犯関係が始まる~」佐々木俊尚著、NHK出版新書である。

情報技術の革新は、メディアや産業の構造を根底から変え、超国籍企業を生んで労働と富のグローバル化を加速し、国ぐにの力を殺いだ。
ITを基盤としたシステムそのものが権力化するなか、個人もまた、生きかたの変容を迫られている。
これから来る世界はいったいどのようなものなのか。
そこでわれわれはどう生きていけばいいのか。
斯界の第一人者が、テクノロジーの文明史を踏まえて未来の社会像を鮮明に描き出す。





筆者が示す新たな世界システムの変化とは何か?
それを筆者なりに一言で示すと「レイヤー化」というキーワードとなる。

レイヤーとは何か?
Wikipediaには

レイヤー (Layer) とは、グラフィックソフトウェアなどに搭載されている、画像をセル画のように重ねて使うことができる機能のことである。
レイヤとも呼ばれる。
日本語では層、重ね合わせの意味である。
例えば、今2枚のガラスがあったとして、1枚目に「あ」、2枚目に「い」と描いたとしよう。
この「あ」と描かれたガラスの上のちょうど良い位置に「い」と描かれたガラスを置けば、「あい」という文字列が完成する。
このときのそれぞれのガラスがレイヤーである。
このとき、一枚目のみに「あい」と描いた場合、例えば「あ」を大きく描きたい、「い」をもっと右に移動したい、といった場合に各文字を消さなければならない。
しかし、レイヤーを使えばそれぞれ「あ」レイヤーを拡大するだけ、「い」レイヤーを右に移動するだけで済む。
このような単純な例では レイヤーを使うことにより受けられる恩恵は比較的小さいが、複数枚の写真をレイヤーとして重ねるような場合においては、それぞれのレイヤーを個別に編集可能であることが大きな意味を持つようになる。


簡単にいうと、20世紀という時代を支えてきた“国民国家”という概念は、人々の世界をその所属する国家という枠組みをもとに「ウチ」と「ソト」を分割してきたし、その枠組みと分割こそが人々のアイデンティティを形作る基盤となっていた。
歴史的に言えば、国民国家というものが誕生し、覇権争いが進む中で、“帝国主義”や“植民地化”という支配と被支配の関係が構築され、搾取する側の国家の内部(ウチ)が豊かになっていくことに反比例するように、搾取される側の(ソト)は富を収奪されていくという構図の中で近代という時代は成立していた。
しかしながら、インターネットの開発と爆発的な展開によって、現在はこれまでの国民国家という枠組みに代わる新たな(脱国家的な)“場”が生まれ、そしてその“場”が意図的に”超国籍企業“によって提供されることで、新しい世界がグローバルなレベルでのレイヤー構造に組み換わっていくというのだ。

そして、これまでの縦割りによるアイデンティティ形成のシステムは崩れ去り、レイヤー化によって、多くの層に個人が切り分けられてしまう。
そして、そのようなレイヤーの集合体が個人となる時代がもうそこにきているという。

これまでの人と人の関係は、化粧箱のなかで切り分けられているケーキとケーキの関係でした。
それぞれが独立し、分断されているけれども、でも同じ化粧箱のなかに束ねられているという連帯感みたいなものがあったのです。
でも<場>の中では、私たちひとりひとりもレイヤーによってスライスされています。
たとえば私という人間は、佐々木俊尚というひとりの独立した個人だけれども、一方でさまざまなレイヤーも持っています。
日本人という国籍のレイヤー
ジャーナリストという職業のレイヤー
兵庫県西脇市という出身地のレイヤー
愛知県立岡崎高校を卒業したという出身校のレイヤー
和食が好きで、料理をつくるのが日課であるという食の好みのレイヤー
登山とランニングを愛好しているという趣味のレイヤー
そういう無数のレイヤーを積み重ねていった結果として、私という個人がある。
ジャーナリストは日本にもいますが、そのほかのレイヤーも私とすべて同じというジャーナリストはたぶんいません。
同じように岡崎高校出身者は何千人もいますが、その他のレイヤーも私と同じという同窓生は存在しません。
だから私は、レイヤーが積み重なったひとつの集合体であるとも言えるのです。
(中略)積み重なったレイヤーの上から、強く絞った光を当てると、光は幾層をもつらぬき、そこにプリズムを通したような光の帯が見えてくるでしょう。
私という個人は、この光のようなものかもしれません。
(中略)でもこのプリズムの光の帯は、単なる可視光線にすぎないから、レイヤーの他の部分ともなめらかにつながっていくことができる。
(中略)ソーシャルメディアのようなものが進化し、普及してきて、そういう同じレイヤーの人たちを探すのはいまとても簡単になりました。
自分は無数のレイヤーにスライスされて、そしてそれらのレイヤーで横にすぐつながることのできる関係、それこそが<場>における人間関係となっていきます。
そして、そのようなレイヤーごとの人間関係の積み重ねによって、私という個人はここにあり、社会に存在できるということなのです。
レイヤーによってスライスされて自分という個人は切り分けられてしまっているけれども、切り分けられているからこそ、それぞれのレイヤーで他の人たちとはつながりやすくなるということなのです。(p210~231)


では、このようなテクノロジーがつくる“場”の革命は、これまでの支配と被支配の中の搾取のシステムから多くの人を開放することになるのか?
そのことについて著書はつぎのように述べている。

テクノロジーがつくる<場>の革命は、ウチとソトの境界を破壊し、国民国家と、その上に築かれた民主主義という二十世紀のシステムを壊していくでしょう。
しかしその先は、昔から人びとが願っているような「皆が自由になる世界」「抑圧がない平和な世界」がやってくるわけではありません。
ウチの幸せが消滅し、<場>へと世界が移行していくと、そこでやはり<場>を運営する側とされる側という新しい支配関係が生まれます。(p174)


この場を意図的に作り出し人々に提供しているのが、Apple、Google、Facebookなどの超国籍企業である。
そうであるならば、これらの超国籍企業こそが私たちを支配すると思われるであろうが、この場を生み出している超国籍企業さえも場の世界の中で常に新しい波に乗らなければ消えていく存在になりかねない。

相変わらずまとめる能力に乏しいので、長い説明、紹介になってしまっているが、結論として筆者が言いたいことは何か。

こうした新しいシステムへの対応、戦略を筆者はどう考えてるか。

①レイヤーを重ねたプリズムの光の帯として自分をとらえること
②<場>と共犯しながら生きていくということ。」P250



おそらく、いま訪れようとしている新しいシステムの中では、自分がレイヤー化されていけばいくほど、自分が何者かということが重層化、多元化し、人はアイデンティティ・クライシス陥る人は増えるかもしれないけれど、見方を変えれば、固定的な自己ではない、その時々、状況に応じて多元的に変化する自在なアイデンティティのあり方が新しいライフスタイルづくりとともに生み出されていくことを逆に楽しることになるのでは…ということを言いたいのであろう。

しかし、そういう生き方は、場や場を生み出す超国籍企業に振り回されない、新しい支配する側に搾取されない賢く強い自己の存在が前提となるのではなろうか。
そうでなければ、筆者がいうような“共犯関係”など成立するわけもない。
そういう観点でいうと、そのような強い個人の作り方に関しては、あまり多くが語られていないように思う。
そのあたりは、今後の筆者の著作に期待したいと思う。

  


Posted by no-bu at 09:39Comments(0)読書

香りと脳の関係について

2014年03月13日

私は最近になってすごくコーヒーを飲むようになった。
以前までは、誰かが淹れてくれなければ、しいて飲まなかったコーヒー。
しかし、最近では、職場で仲間と飲むコーヒーも、家で飲むコーヒーも私がすすんで買いに出かける。
なんでこんなにコーヒーが好きになってきたのだろう?不思議なものである。

コーヒーを好きな人に共通して言えるのは、その味もさることながら、あのコーヒーを淹れた時のあのふわっとした香りを好きなんだろうと思う。あの香りには、なぜか人の気持ちを落ち着かせる何かがあるはずである。

匂いに関して、私の最近の二つ目の変化。

それは、アロマを始めたこと。これは、最近体調の優れない私の状況を見て、職場の女性が勧めてくれたもの。
アロマデフューザーなるものに興味を持った私に彼女がお勧めのデフューザーとアロマオイルを紹介してくれたことに始まる。
良いと思えるのものはすぐに取り入れる好奇心旺盛な性格。
その場にて携帯でAMAZONから検索し商品を購入。
そして寝室で使ってみて数日たった後、今までよりも入眠と朝起きてからの爽快感が違うことに気づいた。
子供たちも寝る前のラベンダーの香りが好きになったみたいで、自分たちですすんでディフューザーのセットを始める。
「これは良い!」と実感し、現在は、リビングでもかなり大きめのデュフーザーを購入し、香りを楽しんでいる。

さて、動物にとって香りを嗅ぐという行為は至極大切な行為である。
ネットをググってみると、動物にとって匂いは大きく分けて二つの働きを担っているという。

一つは、自分の行動範囲を他者に知らせる働き。
マーキングという行為は敵に自分のテリトリーを知らせたり、あるいは求愛のための行為だったりする。
匂いは種の存続のためには欠かせない。

もう一つは、食べてよいものと悪いものを識別する働き。
食べるという行為は、動物にとってその生命維持のための第一条件となる。
自分の命を維持するために有益かそうでないかを一瞬のうちに見極めるために匂いをかいで判断するわけである。

このように動物が生き抜くために必要な機能が「匂いをかぐ」という行為であり、動物からその能力や行為を奪うことは、すなわち「死」を意味する。
食べ物が安全かどうかの判断や敵が近づいてきたときの察知能力が弱まることは、子孫繁栄のための機会の喪失などを引き起こすからだ。しかしながら、野生動物と異なり、人間は嗅覚が退化してしまった。
これは、人間が外界の情報の7~9割を視聴覚、いわゆる「見る」「聞く」に頼ってしまっていることによるものらしい。
仮に人間に嗅覚がなくなっても生きていけるようになってしまっているという訳である。
たとえば、蓄膿症になって匂いをほとんど嗅ぎ分けられなくなったとしても人間は簡単に死ぬことはない。

では、なぜ動物にとって最も大切な嗅覚が、人間にとってはこのように視覚や聴覚よりも大切にされなくなっていったのか?
それは、人間の脳が発達したためであるという。

嗅覚をつかさどる部分は、脳の前頭葉にあるようだが、人間は前頭葉が高度に発達したがゆえに、嗅覚をつかさどる部分の割合が追いやられてしまったらしい。
人間が文化的な暮らしを営むことによって、嗅覚は必要ないものとして退化していったというのである。
しかし、匂いが人間にとって大切な機能だったという名残も、味期限が迫った食べ物を確認するため、人は無意識に匂いをかぐ行為などに見て取れる。

大分、前置きが長くなってしまったが、今回は、この人間の脳と香りの関係に迫った本を紹介したい。














いい香りを「嗅ぐ」だけで、重度の認知症患者の症状が改善されたり、がんによる疼痛がやわらぐ
――<香り>の成分は、私たちの脳や体内に、どのように吸収され、作用しているのか。
西洋医学では太刀打ちできなかった「治りにくく予防しにくい」疾患の画期的な治療方法として、いま注目されているメディカルアロマセラピーを、嗅覚のメカニズムや最新の臨床例からわかりやすく解き明かす。


[編集担当者より]

 「アロマセラピー」と聞くと、「リラックスや美容目的のマッサージ」「女性を目的としたもの」という印象がありませんか? 
本書は「医療を目的としたアロマセラピー」について、嗅覚のメカニズム、精油成分の人体への影響に関する最新の研究に基づいて書かれた画期的なサイエンス書です。
 重度の認知症、がん性の疼痛、潜在的な患者数が非常に多い動脈硬化性の疾患やPMSや更年期障害などの女性特有の疾患など、特効薬がなく対症療法が行われてきた疾患や、ずっと薬を飲み続けなければならず体への負担も医療費への負担も大きい疾患に対し、画期的な治療法になりうると注目されているメディカルアロマセラピー。
その背景には、精油に含まれる〈香り〉の成分が、どのように人体に吸収され、脳に直接はたらきかけるのか、という〈香り〉の作用についての研究が急速に進んでいることがあります。
 急速に解明されるヒトと香りの謎の中でも、私が興味深く思ったのは、「嗅神経は、海馬の歯状回などと並んで、年齢に関わらず再生可能な神経細胞であること」です。
視神経など多くの神経細胞は、通常、一度ダメになったら再生しません。
しかし、嗅神経は外部からのにおい刺激を与えると、活性化して周囲にも働きかけていることがわかってきました。
これまでの西洋医学ではなすすべもなかった認知症の患者さんでも、においを嗅ぐだけで認知機能の改善が見られるのです。
「いい香りを嗅げば、まぁリラックスするよね」ぐらいにしか考えていなかった私にとって、「におい物質が直接的に脳を刺激する」という嗅覚のメカニズムはまさに「刺激的」で、この話を著者から伺ったことが本書を企画するきっかけとなりました。
 すでに臨床で用いられているエビデンスに基づいた〈香り〉の医療を紹介しつつ、まだ謎の多い「香りと人体の関係」についてもわかりやすく解説した本書。普段身近に感じている「嗅覚の謎」や「香りのパワー」を知りたい方は、ぜひご一読ください。
(NHK出版 松原あやか)


本書によると、香りと脳がいかに密接な関係にあるのかがわかる。

まず、嗅覚にかかわる神経は、味覚、聴覚などと違い、中継地点を経由しないでダイレクトに脳に入ってくるようで、その途中の経路で、大脳辺縁系と呼ばれる本能に関係する場所を通過したり、海馬に近いところを走っていくので、記憶にも関係していくということである。
脳の中には、経験の中で、匂いを分類する地図が作られていくようで、ある香りを嗅ぐと、一気に昔のことを思い出すことができたり、香りによっては、悲しくなったりうれしくなったりするのもそのせいらしい。

また、上記の本能に関係する大脳辺縁系とのかかわりでいうと、ストレスが私たちの脳の中でも特に大脳辺縁系にダメージを与えることが最近の脳科学の進歩によって判明しているようなのである。
大脳辺縁系は “脳の中の発電所 ”と言われているようで、食欲や衝動、感情、気分を作り出して、私たちを行動へと駆り立てている。

上記のように、この脳の発電所たる大脳辺縁系に匂いの刺激がダイレクトに到達するので、それゆえ脳を活性化するには、五感の中でも嗅覚がもっとも大きな効果があり、ストレスによるダメージからの回復にとって「匂い」の持つ効果はかなり大きいという研究結果が出ており、医療の現場でもアロマテラピーなるものが発展してきているという訳である。

今回、本書を通して、香りの持つ絶大なる効果をさらに実感し、さらに香りに対して知識を深めることが大切だと感じた。

  


Posted by no-bu at 06:54Comments(0)読書

「15歳からの労働組合入門」

2014年03月12日

『15歳からの労働組合入門』東海林 智(とうかいりん さとし)を読みました。




労働組合入門と銘打っていますが、労働組合とは何たるかとか、労働組合法の解説、どのように組合を組織するかなどの内容ではありません。
若い人たちの労働実態を丁寧にとりあげたルポタージュです。
1つ1つの事例の主人公となる労働者の声を丹念に聴き取り、その根底にある問題の本質を鋭く抉り出していきます。
 
五年前、リーマンショック後の不況と年越し派遣村の現状が大きくマスコミに取り上げられていた時には、見えなかった現実に衝撃を受けた方も多くいたはずです。しかし、時が経つにつれて多くの人があの状況を忘れてしまってはいないでしょうか?日々生きることで精いっぱいで…。

正直なところ、五年前と今とでは、労働者の置かれている状況はほとんど変わらないといっても良いでしょう。
そのことは、本書に登場する方々の生活のリアルな状態を見ていくと詳細に理解できます。
定住所を持たずネットカフェやマックで日々綱渡りの生活をしている若者たちの生活…。
多くの若者たちが過酷な生活状況に置かれていることを国は知っているにもかかわらず、不当解雇や雇い止めはますます横行し、労働者派遣法は再び改悪される危機にあります。

本書で指摘されるように、「08年から09年の“派遣切り”と、派遣労働の過酷さを目の当たりにさせた『年越し派遣村』での教訓を踏まえ、派遣法制定以来初めて緩和ではなく規制強化にカジを切った12年の改正労働者派遣法が、一年ちょっとしか経たないうちに、安部政権下で派遣法の規制緩和の方向で見直しが検討されて」おり、「しかも、今回の見直しでは、『いつもある仕事には派遣労働者を使わない。派遣労働者を使うのは一時的、臨時的業務である』という派遣法の根幹である『常用代替防止』を投げ出す緩和」が目指されており、いま以上に「不安定な雇用を際限なく広げる危険性」を持つ改革(緩和)が進められようとしています。

いわゆるブラック企業問題も規制の方向に進んでいるようにも見えていますが、新自由主義的改革が進む中で、未だに労働者をいつでも代替可能なモノ扱いし、嬲り殺しのような労働環境の中に置くことを全く厭わない価値観が企業の中には蔓延しています。
同時に、労働者たちは、権利主体として、そのような企業に対峙し立ち向かうのではなく、彼ら自身が喪失感や絶望感、無力感の中で力を奪われ、逆にそうした価値観を前提として生き残り競争に自らを追い立てていきます。
 
本書の最後にある対談の中にあるように、いま労働の現場で行われていることは、まさに「ある種のテロというか破壊活動」です。
人が壊されるだけでなくて、社会そのものだけでなく、家族関係も壊されていく状況があります。

「仕事のせいで健康を害し、働けない方が出ると、家族がそれを支えなくてはいけない。それこそ『NPOもやい』の稲葉剛さんが『絆原理主義』とうまいことを言いましたが、地域と家族の関係が今は希薄になっています。家族もこの過酷な労働市場のなかで生きているので、支え合う余裕がなくなっている。同じ状況で働いていない世代間の分断もあるので、なぜ頑張れなかったのか、もっと頑張れたんじゃないか、と
いうふうに家族同士でも見てしまう場合もある。一人でも家族の中に壊れてしまった人間が生まれると、それを認められなくなる。そうやってどんどん家族関係も壊れていく。分断され、バラバラにされていく。ですから、単に企業が一人の労働者の権利を侵害したという問題だけではなく、もっと大きな重い意味があると思っています。人の営みそのものを破壊してすまう。そういう意味では、これは単に労使間の問題で
はなく、このままの社会でいいのかという問題提起をしていかなくてはいけない。」(p205 神部)
 
まさに、そうだと思います。
そして、大事なことは、このような労働環境の中で、横行する違法労働に対する係争をもっとちゃんとやっていくということであるということを本書の事例を通して痛感しました。

「今は、一人ひとりが権利主体になれず、諦めてしまう社会です。そうすると結局、『やったもの勝ち』になってしまう。ブラック企業は鬱になるまで働かせて、結局自己都合退職に追い込むようなことをやる。そうすると、医療費は全部個人、あるいは国が負担して、ブラック企業は利益だけをかっさらっていく。揚句の果てには、タックスヘイブンなどに金を持っていって税金すら払わない場合もある。『やったもの勝
ち』にさせないためには、きっちり労災にし、賠償金も支払わせていくことが大切です。もちろん残業代不払いも取るべきですし、それだけではなく労災にさせて、そこからのペナルティを国家から企業にしっかりかけて、さらには復職まで圧力をかけて
いく。一件一件個人の被害を、弁護士や労働組合が支援し抜くことによって、ブラック企業はフリーライドできなくなる。まず、その社会的支援の輪を広げなくてはいけない。ですから今は青年ユニオンをはじめとしたごく一部のコミュニティ・ユニオン、そして一部の弁護士の支援活動ですが、もっと仲間を増やして、いろいろな社会位的支援をそこに集中していくべきです。これはよく熊沢さんが言うことですが、たった
一人を守る労働運動を日本全国にもっと広げていかなくてはならない。これがブラック企業を現場から淘汰していく最良の方法でしょう。」(p206 今野)
 
搾取され、責め立てられ、非人間的扱いを受けるような状況の中で、本書に登場した方々のように、人間としての権利や尊厳を取り戻すために立ち上がり、労働組合を通して連帯して道を切り拓くための闘いに挑んでいくその姿こそ、これからの過酷な労働市場の中で、いかに自分らしく生きていくのかを追及していく際に大事なことなんだと痛感します。

日本の学費の問題と奨学金の返済に苦しむ若者の多さに関しても、私自身の経験も踏まえて若者の多くが置かれている現状をリアルに実感します。
私自身も大学院を卒業して15年以上になりますが、いまだに大学、大学院の奨学金の返済に追われています。
定職についていますので、何とか返済できていますが、そうでない状況にある方々にとっては死活問題です。
意図せず返済が滞ったばかりにブラックリストにのせられてしまう状況も多々あるようです。
また、そのような状況になりたくがないばかりに就職を急ぎ、さらには暴力的な職場の環境、搾取される状況に対して、(保証人となる親御さんに迷惑をかけまいと、奨学金の返済のために)何も言えずに、最終的には鬱状況になり離職を余儀なくされたり、過労死や自殺を選ぶ若者もいます。
そのような状況を置かれ分断されている若者たちがいかに手を結び、理不尽な社会に対して理性的に抵抗していくのかという一つの手段として、やはり労働組合や労働運動を今一度、立ち上げていくことが大事なんだと思いました。


  

Posted by no-bu at 07:13Comments(0)読書

やってきました!

2013年12月12日

ついに我が家に前から欲しかった物がやってきました。
その名もレイコップ。
そうそう例のやつです。

前々からハウスダストのアレルギーに悩ませられていた私と息子。
特に息子のアレルギーは酷く、薬を服用していますが、厚手の布団が必要なこの時期になると、症状が酷くなります。
毎日、布団かけにかけ、除湿機でジメジメしないようにしていますが、なかなか良くなりません。
そこでジャパネットのコマーシャルで発見したのがコレ!
早速試してみました。

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Posted by no-bu at 21:14Comments(0)日常の生活

おもてなし?ほんまモンのロビー活動は、そんなもんちゃうよ!

2013年09月11日


7日に行われた五輪開催都市争いの最終プレゼンテーションに登場したフリーアナウンサーの滝川クリステルさん(35)に仕事の依頼が殺到しているらしいですね。滝川さんは流暢なフランス語で東京の安全を訴え、日本の「おもてなし」の精神をアピールし五輪を東京に引き寄せました。このプレゼンテーションがかなりの票を引き寄せたのではという見方もあります。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/entertainment/wide_show/?id=6090261
 しかし、それにも増して招致活動が成功した一番大きな要因に「徹底したロビー活動の成功」があげられています。「ロビー活動」とは、Wikipediaによると次のように説明されています。
「ロビー活動(ロビーかつどう、lobbying)とは、特定の主張を有する個人または団体が政府の政策に影響を及ぼすことを目的として行う私的な政治活動である。議会の議員、政府の構成員、公務員などが対象となる。ロビー活動を行う人物はロビイスト (lobbyist) と称される。」
「日本において、ロビー活動は利権団体と政治家との癒着・買収の一形態というイメージが強く、快く見られないことから、表立って行われることはない。このため他国と比べてどの程度影響力があるか定かでない。」
「ロビイストを雇用する団体は多くの場合政治家への政治献金も同時に行っている。このため、ロビー活動が政治の腐敗と関係づけられることも多い。政治家が国民の主義主張ではなく、特定の後援者の利益に沿った政策を唱えることに批判がなされている。」
オリンピック招致に関してみていくと、IOC委員に対して行われる日本招致委員による働きかけが、直前になって接戦だった招致活動の流れを一気に引き寄せたというわけです。上記のように日本では、政治にかかわってみていくと癒着や腐敗との関連であまりよく見られないので、表だって話題となることはないのですが、それに対して、アメリカではロビー活動に長けたロビイストが3万人以上いると言われ、政治家などに日常的に働きかけを行い、大きな影響力を持っているといわれています。
さて、このアメリカにおけるロビー活動について、最近読んだ本に次のような事実が!
 「私の子どもが小学生だったこと、アメリカの小学校でときどきお弁当の代わりに学校給食を買わせると、かなりの頻度でピザが出されていました。ピザに塗られているトマトソースが、なんと「野菜」として数えられるため、ピザは「バランスの取れた食事」として勘定されるのです。ピザに塗られたトマトソースの量はせいぜい8分の1カップ程度の量ですが、それが半カップ分として数えられるのです。このピザソースの「水増し」は、加工食品会社のロビー活動の影響によって決められたものです。学校給食に何を出していいのかはスクールランチ法によって定められていますが、激しいロビー活動によって、トマトソースが「野菜」としてカウントされるようになってしまったのです。」
なんとまあすごい事実です。
この事実をさらに広げてみていくと、“高い有機野菜”を使った弁当を持たせることができる家庭か?それが物理的にできない家庭か?によって、子供の健康に大きな差が出てくるということにつながります。米国では中産階級の弱体化による貧富の二極化が深刻化しており、ほとんどの貧困家庭が夫婦共働きとならざるを得ない状況があります。また、経済的理由だけでなく、共働きにということで、時間的にも生鮮食料品を買って健康にいい食事を用意することができない状況にある家庭が多いようです。そのため、ますます多くの人が価格の安いファーストフードや加工食品に流れ、小児肥満などの深刻な健康被害が再生産されていうというわけです。そういう視点でみていくと、上記のロビー活動が何を意図しているかわかりますよね。そう、ファーストフード、ジャンクフード業界の利益を上げるためのものであったということを…。アメリカの多くの人が、自分の生活がこのような裏の面をもったロビー活動によって仕組まれて箍にはめられてしまっていることには気づいていないでしょう。
では、その枠組み、箍はだれがどのように準備するのでしょうか?そう、もちろん、政界中の利益を貪る巨大企業たちです。その巨大企業が、自ら一人勝ちする仕組みを創り上げながら、産業やビジネス、消費の在り方を根底から変え、私たちの生活に影響を与えていく、そのリアルな実像に迫っているのが、今回紹介する「企業が『帝国化』する~アップル・マクドナルド・エクソン 新しい統治者たちの素顔~」です。  続きを読む

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タガメ女とは?

2013年09月09日

近頃、子供たちと将来就きたい職業や夢の話をしていると、よく「自分就きたい仕事がない」だとか「自分の将来がどんな風なのかイメージがつかめない」とかいう子がたくさんいる。まあ、長引く不況とこの閉塞感がいっぱいで息がつまりそうなこのご時世の状況からすると、自分の将来像がイメージしにくいというのも頷けなくもない。しかし、そんな状況の中、つぎのような答えも多いのが事実である。「幸せな花嫁さん」「専業主婦」「玉の輿結婚」。個人的には、さすがに、このような小学生のような返答にはあいた口がふさがらないが、よくよく考えてみれば、一昔前、高度成長期時代は、このような考え方が多かっただろうなという気にもなる。
こうした考え方は、基本的に、会社人間である自分の主人のリソース=稼ぎを前提にしたものであるが、こうした生き方自体を「日本をダメにする元凶」と一刀両断にする本がある。
『日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体』深尾葉子著/講談社+α新書



















私自身、この本の存在を知らなかったが、知人から阪大に面白い研究をしている女性研究者がいて、その人が書いている本の題名が面白いという話を聞いて検索してみるとこの本に出くわした。
筆者の問題提起を簡単に言えば、「昨今の男性の自殺の増加、熟年離婚、DV、ネグレクト、晩婚化・非婚化の要因は、専業主婦を志向する女性にとって生存競争を生き抜くために『幸福の擬装工作』までして男性を『搾取』するシステムから離反しようとした男性側(カエル男)の抵抗である」ということである。
では、なぜこのようなタガメ女、カエル男の捕食関係が生まれてしまったのか?それを筆者は「魂の植民地化」という概念で説明しようとしている。
「物質的、経済的な条件に左右される『幸福の指標』は『箍』(筆者は、たがとタガメをかけているのだろうが)となって、男性だけでなく女性自身をも呪縛し、今日の日本社会の閉塞状況を引き起こしている。これは、戦後のアメリカ的価値観を無批判に受け入れ、それを『常識』としてきた結果招かれた『魂の植民地化』である」。
 では、筆者がいう、戦後アメリカ的価値観を無批判に受け入れ、常識化してきた結果、生み出されたタガメ女とは、どのような女性なのだろうか?筆者は、次のようなチェックポイントをあげている。

【タガメ女】
□夫の小遣いは月1万円
□夫から搾取しつくすのが目的。万が一のときは自滅
□夫はただの給料運搬人と考えている
□選んだ男を巧妙にはめて結婚、または計算ずくのデキ婚
□捕食者と餌の関係で、愛情はない
□お金を稼ぐことは失敗の証しであり屈辱
□信頼できないので拘束している
□ブランド大好き。見栄をはるための必需品
□郊外のマイホームと車はセットで必須アイテム
□感謝する意味がわからない
□周りから幸福に見えるかがすべて

タガメ女とは、上記チェックポイントに多数当てはまり、収入が多い男性との“安定した結婚”を望み、結婚したら“郊外の一戸建てかマンションの住宅ローンを組んで”夫を縛り付け、“自分が家事をいかに頑張っているかをアピール”し、“ママ友の間での見栄の張り合い”や“ブランドショッピングに精を出し”、“イベントや約束とディズニーランドが大好き”で、“投資より定期貯金に励み”、“ドコモの家族割のガラケーに固執する”女性なのである。
さらにいえば、このタガメ女たちは、「○○するって約束したじゃない!」とか、「だから言ったじゃない!」といった自身を守る言動を連発させ、自己チューで、“自分は幸せにしてもらって当然”的な考えを持ち、バブル崩壊後も“旦那の年収が下がっても浪費だけする”、「あんたみたいな男はむかつく」、「腹が立つ」、「あなたがいると困る」などのような発言をくりかえす特徴を持つのであるそうだ。
 で、結論…。
私自身は、題名と箍とタガメをかけて社会問題を解きほぐすあたりに視点の斬新さを感じ、購入するに至ったわけだがが、星で評価すると「★★★★★★★☆☆☆60点」とイマイチの評価。
理由は、社会構造分析には欠くことのできない“データの裏づけと詳細な分析”等はほぼ皆無、厳しい言い方をすると「男性の自殺の増加、熟年離婚、DV、ネグレクト、晩婚化・非婚化」という特徴的な事実の表の側面のみを“利用して”、その背景あるものが何であるのかを科学的分析も行わずに、ただ自分の意見だけをただ羅列しているように感じる。
 筆者の“魂の植民地化”なる概念をもう少し詳細に理解できれば、もっと深い読み方ができるのかもしれないが、それは多くの人には難しいし、そいう意味でいっても、読了後も何か釈然としない足りないところだらけ感だけがのこった。そういう残尿感的なのは、個人的にかなり嫌なので、著者の「魂の脱植民地化とは何か/青灯社」を読んでみようかと思う。  

Posted by no-bu at 17:24Comments(0)読書

今度こそは!

2013年09月02日

いよいよトップリーグが開幕した。
ジムから帰宅後、撮りためている中から開幕戦のNTTコムvsサントリー戦を観戦。

高速アタッキングラクビーの王者サントリーにどこまで、NTTコムが迫れるか?そして、ルールの変化に選手、大槻レフリーがどう対応するかが楽しみな一戦。

サントリーは、ペナルティからも積極的に攻め続け、トライゲッターWTB小野澤の腰の強さを見せたトライで先制。その後もライン際の粘り腰でみせた二トライ目もナイストライだったが、そのときに痛めた肩の具合も気になる。

いつもルールが変わった後のゲームを見て思うが、あまりにもそこばかりにレフリーが神経を尖らせていて何か異様なものを感じる。
チャンピオンシップのニュージーランドとオーストラリア戦でも感じたが、あまりにもそこばかりに意識がいっている感じがして、せっかくのナイスゲームも興ざめ感もあった。

以前、ラインアウトでのリフターの選手のオブストラクションのペナライズをしっかり見ようとなった時も、最初の頃は、選手も指導者もレフリーもあまりにも過敏になっていて、ペナライズの数も極端に多かった。しかし、その後しばらくすると全くと言っても良いほど、ペナルティがとられなくなった。
ペナライズされる行為がなくなったならば、良いことだが、私にはそうは思えない。

スクラムの安定感も大事だが、コミュニケーションを大事にしながら、しっかりプリベントしながら、ペナライズが少なくなるように、また一時のものにならないように一貫性と継続性を大切にしながら、改変が意図する目的をしっかり実現させていかなければと切に感じる。

ゲームの結果は、32対6。
サントリーにとっては、盤石の勝利と言っても良いゲームだった。

  

映画作品紹介「最強のふたり」

2013年05月22日

巷で話題の作品だったフランス映画「最強のふたり」をようやく鑑賞することができた。
この「最強のふたり」は、あの「千と千尋の神隠し」の記録をも上回り、2011年11月にフランスで公開され、「ハリー・ポッターと死の秘宝Part2」「パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉」「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」などのハリウッド超大作を抑えて年間興収第1位を記録。フランス国民3人に1人が観たという。
さらには、ドイツでも7週連続1位となり、「アメリ」を抜いて過去ドイツで公開されたフランス映画の興収No.1を獲得。オーストリアでも6週連続1位、スペインでも記録を更新。第37回フランスアカデミー賞(セザール賞)に9部門ノミネートされ、オマール・シーが主演男優賞を受賞。昨年、開催された第24回東京国際映画祭ではグランプリと主演男優賞をW受賞するというすごさ。

なぜにそんなに素晴らしい作品となったか?

監督:エリック・トレダノ、オリヴィエ・ナカシュ
出演:フランソワ・クリュゼ、オマール・シー、アンヌ・ル・ニ他



「最強のふたり」は、車いすで生活している大富豪と介護者として雇われた黒人青年が垣根を越え友情を結んでいくストーリー。年齢や環境、好みなども全く異なる二人が、お互いを認め合い、二人一緒にいることで、刺激し合い変化しあっていく過程を描いていく実話を基にしたヒューマン・コメディーである。

簡単な話の流れはこうである。
パリに住む富豪のフィリップ(フランソワ・クリュゼ)は、頸髄損傷で首から下の感覚が無く、体を動かすこともできない。フィリップと秘書のマガリ(オドレイ・フルーロ)は、住み込みの新しい介護人を雇うため、候補者の面接をパリの邸宅でおこなっていた。そこに、ドリス(オマール・シー)は、職探しの面接を紹介され、フィリップの邸宅へやって来る。しかし、ドリスは職に就く気はなく、給付期間が終了間際となった失業保険を引き続き貰えるようにするため、紹介された面接を受け、不合格になったことを証明する書類にサインが欲しいだけだった。にもかかわらず、気難しいところのあるフィリップは、介護や看護の資格も経験もないドリスを、周囲の反対を押し切って雇うことになる。
ここに実話のおもしろさがある。理由をフィリップの気むずかしさや変わった性向に落ち着かせてしまえばそれまでだが、フィリップはファーストインプレッションで何かをビビッと感じたはずである。周りの者からは計り知れないその思いつきともいえる“物好きな”選択が、その後の生まれも育ちも全く違う、趣味も個性も全く異なる二人がお互いを高め有っていく最強のパートナーとなっていくところに人生の妙が存在するのである。
“フィリップは、自分のことを病人としてではなく、一人の人間として扱ってくれる”ことを瞬時にかぎ取ったのであろう。

事細かに書くとこれから鑑賞される皆さんが面白くなくなってしまうので言わないが、障碍をもった方とのふれあいを描いた作品の場合、なぜにか何らかのテーマを見る側に押しつけてしまう傾向があるのだが、この作品は全くそんなところがない。それどころか、ドリスの行為を見ていると、障碍をある意味笑いものにしているような場面も多く存在する。しかし、ドリスのそのような行為が嫌悪感を生み出さないのはなぜなのだろうか?ここにこの作品の素晴らしさがあるのだろう。

オリヴィエ監督は、6月の来日時に行われたイベントで、次のように述べたという。
「今、ヨーロッパは経済危機など、さまざまな問題を抱えています。かつてのヒーロー像は超人的で人間離れしたものが多かったが、今の人々に受けるヒーロー像は、リアルで普通の人間。本作の主人公2人は、障害や、移民の問題で社会から排除された人間。誰も、そういう境遇になりたくないと思ってるが、その“怖い”とか“不安”という気持ちの上に“笑い”を入れることで、彼らがリアルなヒーローに見えるんです。それがヨーロッパで受け入れられたのではないかと思います」彼らが次第に、お互いの人生にとって決して欠くことの出来ない心の、魂の友となっていく、その過程から我々は自分たちの中にある壁を感じ、それを乗り越えるためのエッセンスを知ることになるだろう。

評価 ★★★★ 90点
  

Posted by no-bu at 19:00Comments(0)映画

映画作品紹介「SAFE」

2013年05月19日

“あまり何も考えずに、スカッとするような作品ない?”って聞かれたら、当然、私はすぐにこの人の出演作をおすすめいたします。

そう、 「トランスポーター」「エクスペンダブルズ」など、数々のアクション・サスペンス作品に出演してきた、あのジェイソン・ステイサムさんの作品です。

今回紹介する「SAFE」は、マフィアや悪徳警官から狙われた少女を守ってニューヨークの街を疾走するというノンストップ・アクション・サスペンスでございます。
監督は「タイタンズを忘れない」「アップタウン・ガールズ」のボアズ・イェーキン。


簡単なあらすじを申し上げますと、過去のある事件で職を失ったニューヨーク市警の元刑事ルーク・ライト(ジェイソン・ステイサム)が、地下格闘技のファイターとして落ちぶれた生活を送っていたある日、本来なら負けなければいけない八百長試合で誤って相手をKOしてしまい、そのせいで損害を受けたロシアンマフィアがルークの妻を惨殺。絶望したルークは地下鉄で飛び込み自殺をしようとするが、妻を殺したロシア人一味が1人の中国人少女メイ(キャサリン・チェン)を追っている姿を目撃し、とっさに少女を助ける。少女はある大きな秘密を抱えており、ルークは少女ともども、チャイニーズマフィアや汚職警官グループに追われる身となる、というものです。
さて、ルーク・ライトのその後はいかに…。

監督:ボアズ・イェーキン
出演:ジェイソン・スティサム、キャサリン・チェン、ジェームズ・ホン



本作鑑賞前に、ネットで鑑賞後の評価を見ていると、中国人少女メイがあまりにも不細工で作品の質を下げた!なんて評価をする人がいます。何という人でしょう。
ステイサムの作品には必ず美女が出なければいけないのでしょうか?
悪を許せない、心優しきタフガイ。弱気も守り、悪を叩く。それもド派手に!
ジェイソン・ステイサムの作品は、それで良いじゃないですか!
これまでもステイサムのアクション作品は、徹底してこの形だけを踏襲してきたはずです。
ステイサムのアクション作品のファンの皆様も、それ以外のことはのぞんでいないはずでは?
確かに、“なぜ彼がメイを気に留めたのか?”などの利湯が全く判らない“など、突っ込みどころはたくさんありますが、いいじゃないですかそれで…。
ステイサムのアクション作品とはそういうものなんです。

という思いで見て欲しい作品です。
こちらも、短く展開もスピーディで、平日の夜に“何―――も考えずに、期待せずにご鑑賞下さい。

評価 ★★★★☆ 80点

あらすじ(ネタバレ注意)
ニューヨーク。元市警の特命刑事だったルーク・ライト(ジェイソン・ステイサム)は、今はマイナーな総合格闘技のファイターにまで落ちぶれていた。ある日、八百長試合で誤って相手をKOしてしまった彼は、その試合で大損害を被ったロシアン・マフィアに妻を惨殺されてしまう。すべてを失いホームレスとなったルークは地下鉄のホームで飛び込み自殺をしようと立っていた時、一人のおびえた少女が、妻を殺したロシア人の一団に追われているのを目撃する。彼は追っ手を倒し、少女を救うが、今度はかつて彼を陥れたウルフ(ロバート・ジョン・バーク)率いる汚職警官グループやチャイニーズ・マフィアまでもが、少女を必死に追ってくる。その中国人少女メイ(キャサリン・チェン)は、一度覚えた数字を絶対に忘れない天才だった。チャイニーズ・マフィアのボス、ハン(ジェームズ・ホン)は、彼女の才能を利用し、不正に儲けた金や重要証拠などの入った秘密金庫の暗証番号を覚えさせるため、彼女を部下であるチャン・クワン(レジー・リー)の養子にしてアメリカに移住させたのだった。一方、チャイニーズ・マフィアの金庫強奪を企むロシアン・マフィアは、メイ自身が金庫の暗証番号の鍵だと知り、彼女を拉致しようとしていた。またウルフたちはチャイニーズ・マフィアとロシアン・マフィアを天秤にかけ、いい条件を出した側に就こうとしていた。そんな中、メイは携帯電話を探知され、チャイニーズ・マフィアに捕まってしまう。ルークはロシアン・マフィアのボスの息子を拉致し、その命と引き換えに彼らが狙っていた金庫の場所とその中身を聞き出す。チャイニーズ・マフィアが経営する違法カジノの地下にある金庫には、現金3000万ドルが眠っていた。ルークはウルフたちを味方に引き込み、違法カジノ摘発という名目でカジノを襲撃、金庫の中身を強奪すべく行動を開始する。激しい銃撃戦の末、現金の強奪に成功したルークはその金でメイを奪還するつもりだったが、メイを巡るこの争奪戦と抗争の背景には、ニューヨーク市長までをも巻き込んださらに巨大な陰謀が隠されていた。すべてを知ったルークはメイの安全を確保するため、命をかけて最後の死闘に臨むのだった……。
  

Posted by no-bu at 19:00Comments(0)映画

映画作品紹介「NAVY SEALS」

2013年05月18日

「何故、闘うのか?」
ホントに鑑賞後にそう思わせられた作品でした。


今回は、「NAVY SEALS」を鑑賞しました。
この“NAVY SEALS”2011年に、あのアルカイダのボス、オサマ・ビンラディンを暗殺したことでも有名です。彼らは、米海軍のなかから選りすぐられた、わずか0.5%の精鋭で構成されるという、超エリートの特殊部隊です。
このSEALSという名称は、SEが海のSEA、Aが空のAIR、Lが陸のLANDの陸海空の頭文字から構成されているそうで、あらゆる場面で特殊工作ができる能力をもった部隊という意味だそうな。ということは、陸軍が組織する特殊部隊「グリーンベレー」何かよりももっと凄い能力をもっている超エリート達が集まっているという訳!

さて、今回のこの作品の大まかなあらすじはこう!
医師に扮してコスタリカに潜入していたCIA女性エージェントが拉致される事件が発生する。黒幕は、麻薬取引や武器密輸で暗躍し財を成す、通称クリストという男と目される。アメリカ海軍特殊部隊NAVY SEALSに出動命令が下り、隊員たちは迅速かつ的確に敵の拠点地を突き止め急襲し、エージェントを取り戻すことに成功。そのときに現場から押収した携帯電話を分析すると、クリストがイスラム系テロリストを支援し、全世界規模のテロを計画していたことがわかる。NAVY SEALSの中でも選りすぐりの精鋭たちに新たな国家の最高機密に関わる極秘指令が下り、ひときわ優秀なローク大尉は妊娠した妻を置いて熾烈な戦いが待つ任地へ赴く。
というもの…。

監督:スコット・ウォー
出演:ロセリン・サンチェス、ジェイソン・コットル、アレックス・ヴィードフ



さて、見終わった後の感想は、良くもなく悪くもなく…っていう感じ。正直あとに何も残っていない。何故、心に残るものが無いのかを考えると、この作品、確かに現役のNAVY SEALSの精鋭が生で出演しているので、戦闘シーンの生々しさ、本物の武器の迫力はリアルなものを感じるし、サウンド、映像、臨場感、迫力感ともに素晴らしいのだが、最終的には、何かプロモーション作品を見終わった感じで、作品の良さというものが残らない。
おまけに、“世界の正義をしょって立つアメリカ万歳”的なプロパガンダ的な匂いがプンプンする。これはフィクションだよと思ってみても、心のどこかで、アメリカなら本当に要人が拉致されたとなるとこんな風に奪還しかねんな!と疑いたくもなる。“正義”という名目があれば、ひとりの女性エージェントを助けるために何人もテロリストを殺しまくっても、それも正義というのか?
たった一つの映画ごときで、そんなことまで考えるなよ!と言われればそれまでだが…。

評価★★☆☆☆ 40点

あらすじ(ネタバレ注意!)
CIAは、一人の男を追っていた。
麻薬取引と武器密輸で莫大な富を手にする男、通称クリスト。
CIAの一番の関心は、彼と東南アジアのテロリスト、アブ・シャバールとの関係だ。
両者の接点を探るため、女性エージェントのモラレスがメキシコの医師を装ってコスタリカに潜入、クリストとシャバールの繋がりをつかむ。
だが、モラレスはCIAの動きに気付いたクリストに拉致されてしまう。
アメリカは直ちにネイビーシールズ出動を要請、任務はモラレス奪還。
ローク大尉率いるチーム7が闇のなかTバードから降下、目標地へ向かう。
川に囲まれたクリストのアジトを静かに着実に包囲する隊員たち。
屈強な見張りの男たちを一人、また一人と確実に射殺していく。
その時、モラレスの悲鳴が響き渡る。急がなければ彼女の命が危ない。
一気に踏み込んだ襲撃隊は反撃を受け、一等兵曹のマイキーが負傷するが、隊員たちは冷静に銃撃戦を制し、モラレスを確保する。
だが、安堵の間もなく2台の車両に分乗した敵の援軍が迫る。
銃弾が降り注ぐ激しいカーチェイスの果てに、隊員は車両ごと川へ突入、完璧なタイミングで現れた舟艇隊と合流し、任務は鮮やかに完了する。
だが、それは闘いのほんの入口に過ぎなかった。アジトから押収された携帯電話から、クリストとシャバールによる大規模なテロ計画が判明したのだ。
シールズに、新たな任務が発令される。折しもロークの妻は、第一子の出産を控えていた。かつてないほど重大かつ困難な任務を前に、ロークは一心同体の仲間であると同時に、私生活では兄弟同然の親友でもある副官のデイヴに、もしもの時の家族へのメッセージを託す。
チーム7から、エイジェイとレイがアフリカへ派遣される。
飛行場から兵器輸送を行うシャバールを追うのだ。大陸沖に降下した二人は、ほんの数分浮上した潜水艦に乗船、ソマリアへ向かう。
上陸した彼らからの情報で、シャバールの行く先がメキシコと判明する。
一方、姿をくらましたクリストを南太平洋に浮かぶクルーザーで発見、チーム4の協力を得て、これを迅速に確保する。
尋問のプロ、ミラーが出動し、家族の安全と引き換えに情報提供を迫る。
まだ幼い娘を想うクリストの口から語られたのは、歴史上最大級のテロ計画だった。
イスラム聖戦派のテロリスト16名が、ジェル型爆弾の球500個を付けた脅威の破壊力を持つ自爆ベストに身を包み、セラミック製のために金属探知機に引っ掛かることなく、国境を難なく越える。
行き先は、ラスベガス、サンディエゴ、サンフランシスコ--主要都市に向けて、“今”この瞬間にも計画が進行中だというのだ。
チーム7は、シャバールが待機するメキシコのメヒカリへと向かう。
アメリカとメキシコ両国が協力、現地軍が案内と援護につく。
しかし、目的地は現地の隊長も恐れる最悪の危険地帯だった。
  

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